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ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」亀山郁夫・訳

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
(2007/07/12)
ドストエフスキー

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【あらすじ】
放蕩生活を送り、常時道化を演じる父フョードルとその三人の息子、そして女達の物語。
長男ドミートリー(ミーチャ)は、女好きで金遣いの荒い退役軍人。
次男イワン(ワーニャ)は、博学な無神論者。
三男アレクセイ(アリョーシャ)は、ゾシマ長老に心酔する見習い僧侶。
それまで、アリョーシャが知ることのなかった兄二人が帰郷してくる。
そして、長老の庵室で、家族会合の場が設けられることになる。

【途中まで、ネタバレなし感想】
話題があっちゃこっちゃ行く話なので、あらすじを書くのも難しい小説です。
各巻の裏表紙にネタバレが書いてあるのでご注意下さい。

キリスト教に関する描写が大変多いです。
アリョーシャが所属しているのは、西洋のカトリックやプロテンスタントとは異なる、ロシア正教会です。
ロシアにはこの他にも鞭身派や去勢派など、なにやらマニアックな分派があるそうです。
激しい自罰や他罰行為を行う教義です。
キリストや聖書を書いた人(?)もそんな宗派ができるとは想像していなかったでしょう。多分、そんな教え聖書に書いてない。

神はいるのかいないのか。
神の存在を信じても、神の創った世界は信じない。的な問答が数多くでてきます。
悲惨な事件や児童虐待がなければ、善悪を認識できないのなら、こんな世界は嫌だ、的なセリフもあったと思います。

話の本筋では、ある重大事件を中心に、女の取り合いと、女同士の憎しみ合い、金の貸し借りが展開されます。
金銭に関しては、くどいほど書かれていて、その金額に何か特別な意味があるのか?というくらい繰り返されます。
「金は借りても、全部使わず一部でも返せば俺は泥棒じゃない。卑怯者ではあるけど。」的、謎の金銭感覚や、妙な、プライド上の線引きが登場します。

というわけで、大雑把なストーリーを書き出すと、大変人間くさくて俗っぽいものになるのですが、一方、神の存在問題などやたらめったら高尚な精神的葛藤も絡んでおり、また、神話や既存の戯曲をモチーフにしている点もあります。それでこの感想の冒頭、「話題があっちゃこっちゃいく」と述べたのです。

精神分析学的には、興味深い物語なのだそうです。

そんな女のどこがいいんだよ、そんな男のどこがいいんだよ、というくらい性格のひん曲がった人物が出てきて愛し合います。
ただ単に善良で害のない、一緒にいて穏やかに過ごせる相手よりも、お互いに激しく傷つけあい、その傷を舐めあう関係の方が、より一層、精神の奥深くまで近づけるのかもしれません。

「死んだ罪人が、生前唯一よい行いをした。彼は、葱を辿って地獄から天国に行こうとしたが、他人を蹴落とそうとした為に自分も落ちてしまう」という挿話が出てきます。
これは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」とそっくりですが、この二つの話にはさらに元ネタがあって、それが「ロシア民話」もしくはポール・ケーラスが収集した「カルマ」なのだと言います。

作中、足の悪い少女、足の腫れた夫人、足を賛美する詩などがでてきます。
作者は足フェチでNTR属性持ちでマゾヒストな部分があったと解説にありました。
それって、谷崎潤一郎とかぶってる気がします。

ロシアの心、ロシアの大地、ロシア的な、…とロシア魂を表すような単語がいくつも出てきましたが、つまる所、「ロシアらしさ」って何なのでしょう。

全5巻中の第5巻は、その大半が訳者・亀山郁夫による解題です。ドストエフスキーの人生についても説明されています。
以下、その解説も参考にしつつ感想を書きます。

【以下、ネタバレあり感想】







三兄弟の中で一番、性格が父親に似ているのは長男ミーチャだと思っていましたが、作中では次男イワンが一番父親似だと書かれていました。
どこらへんが…?
ミーチャと父フョードルの共通点ならいくらでも挙げられますが、イワンとフョードルとなると難しいです。

父親を殺したのは、普通にミーチャだと思っていましたが、実際には違いました。ミーチャは無実です。有罪になりましたが。

イワンが父親の死を願い、癲癇を患った料理人スメルジャコフが父親を殺した。
イワンは、スメルジャコフの凶行を未然に防げたはずなのにそれをせず、旅立った。だから、スメルジャコフに殺しのGOサインを出したも同然。
つまり、主犯はイワン。

というのが、真相らしいです。

ええええーーー、本人も気づいていないくらいの、「あいつ死んだらいいのに」という想いと、「ちょっとお前、親父殺しちゃってよ」という無意識の殺人教唆(解説では「そそのかし」と読んでいた)が、父殺しの正体とかそんなのありかよーーーーーと感じましたが、その異様な思考方法が大変面白いです。

たしかに、癲癇患者が発作の起こる時間と場所を予告できるのはおかしいとは思いましたが、だとしても、スメルジャコフが父フョードルを殺すなんて、全く考えませんでしたよ。
増してや、イワンが殺しを命じたようにも全く見えませんでした。

作者ドストエフスキーの父親は変死しています。農奴に殺されたという噂が実しやかに囁かれています。
ドストエフスキーの父を殺した実行犯は、ドストエフスキーではありません。
多分、彼は事件現場とはまったく別の場所にいたし、アリバイもあったことでしょう。
「カラマーゾフの兄弟」的に考えれば、ドストエフスキーが「わたしが父を亡き者にしたいという無意識の願望を持っていたせいで父親が死んだのだ。つまり、父を殺したのはわたしだ。」という罪の意識を持っていた可能性もあります。

解説によれば、スメルジャコフとイワンは、悪魔の化身として表裏一体だったようです。殺しの少し後まで、スメルジャコフはイワンの分身でした。
と、同様に、イワンとリーザも途中からイメージを重ねて同質性を強調してあるとのことです。二人は、「覗き見」と「盗み聞き」という共通点を持ちます。また、残虐行為のエピソードを収集しアリョーシャに話すイワンと、残虐行為の限りを尽くしたいと望みアリョーシャに話すリーザというのも類似しています。
リーザは、イワンにラブレターを出した時点から、筆者に愛称の「リーズ」ではなく本名の「リーザ」と、呼ばれるようになっています。こんな所に気が付く訳者・亀山氏は、さすがドストエフスキーの研究者だけあります。

イワンが「右肩を落とし、足を引きずっているように見える」というのは、「ファウスト」に登場する悪魔「メフィストフェレス」になぞらえてあるそうで、そんなん知るか高度過ぎるわ!と思いました。

先ほど述べた「残虐行為」ですが、その描写の前後には、甘い食べ物のモチーフが登場します。
「パイナップルのコンポート」「サクランボのジャム」「トルコ人は甘いものが好き」など。
甘い物と残虐行為を結びつけることに、直接何の意味があるのかは分かりませんが、少なくとも、意図的にこれらのイメージを連動させており、作者は様々な高等テクニックを駆使しているのだなと感心しました。
偶然ではなく、計算して書いているのです。

ずっと、「この物語の筆記者・語り手は誰なんだよ」と考えていました。
作中の登場人物かしら、ひょっとして、ラキーチン?と予想しましたが、彼に、イワンの幻覚を共有できるわけもありませんし違うようです。
解説では、語り手=わたしは、結局ドストエフスキーである。となってました。

「わたし」は、アリョーシャとミーチャは愛称で書く事が多いのに、イワンは本名のままで書くことがほとんどです。
イワンだけ突き放して距離を取っているのでしょうか。
悪魔的な存在は、そうでない者と区別しているのかもしれません。リーザも途中から愛称じゃなくなってますし。

アリョーシャは、お使いごとばかりしていた印象です。
誰々に会わなければならない、とか、誰々に何々を届けなければならない、とか。
アリョーシャは、父や兄にとても愛されていました。何ゆえ。心優しいから?末っ子だから?主人公だから?

「カラマーゾフの兄弟」は、二つの小説からなる物語の内の一本目です。第二の小説は、作者が亡くなった為書かれていません。
続編は、「十三年後のアリョーシャが革命家となり、皇帝暗殺グループを率いて処刑台に送られる」というのが最有力視されている筋だそうです。

それが本当だとして、素直で純真なアリョーシャがどんな経緯を経て革命家になるのでしょうか。
変貌を遂げたリーザと、「カラマーゾフ」のラストでシュプレヒコールしていた子供達が、アリョーシャに影響を与えるのでしょうか。
「兄が父親を殺した罪で裁判にかけられる」という稀有な体験をしても、なお、穏やかな性格を変える事のなかったアリョーシャですが、彼の身に一体何が起こるのでしょう。

スメルジャコフの父親は、フョードル・カラマーゾフである可能性があります。
もしかしたら、カラマーゾフの兄弟は、三人ではなく、四人なのかもしれません。
スメルジャコフの父親を断定せずぼかしてあるお陰で、カラマーゾフ殺人事件は、実は二重三重の父親殺しだったのではないか、と想像する余地があります。
そういった点が、読者や研究者の探究心をよりかき立てるのでしょうね。

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

  1. 2009/09/05(土) 17:16:24|
  2. 読書感想文(小説)

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