野良箱

同人漫画サークル

村上春樹「1Q84」(イチキューハチヨン)

book3の感想はこちらです。
以下、book1、book2の感想になります。

1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 1
(2009/05/29)
村上春樹

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1Q84 BOOK 21Q84 BOOK 2
(2009/05/29)
村上春樹

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【あらすじ】
「青豆」編
マーシャルアーツ・インストラクターの青豆(「あおまめ」という苗字。本名。女性。)は、タクシーに乗っていた。
車は、首都高速道路上で渋滞に巻き込まれてしまった。このままでは彼女の予定に間に合わない。
青豆は、タクシー運転手に教えられ、高速の非常階段を下りることになった。
「天吾」編
川奈天吾は、塾講師として数学を教えながら小説を書いている。彼は、新人賞の最終候補に残るも受賞歴はなく、未だデビューしていない。副業でライターもやっている。
ある日天吾は、担当編集の小松の画策で、新人賞に応募してきた17歳の少女「ふかえり」(本名は、深田絵里子。女子高生。)の小説「空気さなぎ」を書き直すことになる。
「空気さなぎ」は、あくまでもふかえり一人の作品として発表することになっている。

「青豆」編と「天吾」編が交互に展開される。

【途中まで、ネタバレなし感想】
最初の1ページ目だけで「ヤナーチェック」という作曲家の名前が4回も出てきて、何回言えば気が済むんだよ!とツッコミたくなりましたが、作者はあえてやっているんでしょうね。
ちなみに16Pでも「ヤナーチェック」が4回でてきます。
私が村上春樹作品を読むのは、まだ数作目です。
世の中には少なからず彼の文体が苦手だという言う人もいますから、そういった方が読んだら、冒頭で脱落してしまうかもしれません。
でも、そういうツッコミがいのある作品って好きです。

書店で目次をパラパラっと読んだ時「エッセイか?」という印象を受けました。
「見かけにだまされないように」「あなたがそれを望むのならば」
そういったサブタイトルが、小説ではないもののように感じられたのです。
サブタイトルは、その章に含まれる文から取られています。
まんまの時もあれば、表記や言い回しが変わっている時もあります。

「ふかえり」というキャラクターは、最初、「ライトノベルっぽい」と思いました。
ラノベはあまり知らないので、あくまでイメージ上の「ラノベっぽい」なんですけど。
彼女は、疑問文に「?」をつけないで喋ります。また、2つ以上のセンテンスを繋げて話すことは滅多にありません。読字障害があり、言葉にアクセントが不足しています。
「スウレツがすき」これで、「あなたは数列が好きなんですか?」という意味です。
見た目的には、胸の形の良い美少女とのことです。
芥川賞作家の綿矢りささんっぽい感じだろうかと想像しました。(彼女の顔はうろ覚えですし、まだその作品を読んだ事がありません。)
声は、「涼宮ハルヒの憂鬱」に登場する長門有希で脳内再生されました。
しかし、途中から、もう少し明るく高く幼い声に変化していきました。

全体としての感想は、「すごくすっきり、全てが分った!これが、こうなって、起承転結はこうだった!」という風に明確には理解できなかったのですが、しかし面白かったです。
読んでいる間中、続きが読みたくて堪りませんでしたし、読後も余韻が残りました。
深読みしがいのあるメタファーに溢れていたと思います。
作者の意図を全て汲み取るには、沢山の人の解釈を突き合せる必要がありそうです。

誰かと話をする時や、自分がなんらかの作品を創作する際に、引用したくなるような小説でした。

「自分は今30歳だけど、心の中には、10歳の姿をしたままの初恋の人がいる」という状況にすごく萌えました。
大人になり、沢山の人と男女の関係になっても、小学生時代好きな人から受けた強い印象、衝撃、そういったものが損なわれることなく輝き続けているというのは、好きなモチーフです。
おそらく、「本当にあの時誰かを好きだった」という記憶を抱えつつも、結局別の人とそれなりに付き合って結婚してしまうということは、非常に多そうな気がします。

私が好きだった「パイオニア・ピュアビジョン」のCMを思い出しました。
俳優の津田寛治さん演じる眼鏡の男性「タカシ」が、部屋でDVDだかホームシアターだかを見ていると、いつの間にか木造校舎の小学校にタイムスリップしていて、成人の姿のまま、教室の席についている。当時好きだったと思われる赤いランドセルの少女が「タカシくん」と呼びかけ微笑む。そんな筋だったと思います。
過去も鮮やかに蘇るくらい、素敵な画質の「パイオニア・ピュアビジョン」をよろしく!って意味のCMなのでしょう。

作中、何度か出てきたジョージ・オーウェル作「1984年」に付きましては、こちらのエントリーで感想を書いています。
ジョージ・オーウェル「1984年」

登場人物が男女問わず「やれやれ」と言うのは、大変村上小説らしいです。
しかし、この作品でゴーストライターを扱っている為、「いかにも村上文学っぽい作品だけど、本当は別人が書いてたりしないよなぁ…?」と少し心配になりました。

服のブランド名や車種や店名、音楽の曲名、映画タイトル、書名など、やたら具体的な固有名詞が沢山でてきます。

最初、青豆という女性の服装描写がちょっと今時じゃないなぁと思いましたが、それもそのはず、舞台は1984年なのです。

未成年の飲酒や、様々な人の性描写が複数回出てきますので、青少年向け優良図書とは言えなそうです。むしろ、有害図書かもしれません。映像にしたら成人指定だと思います。もし全年齢対象に作ったら、重要なシーンが丸ごとカットになってしまいます。

【以下、ネタバレあり感想】






「青豆パートは、全て、天吾の書いた新作小説なんだろうな。つまり、青豆編は作中作なんだ。だから、青豆がヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を知らないはずなのにラジオで聞いてそれと分ったのは、その曲が天吾が昔関わった曲だから小説に書いたせいなんだ。天吾は、唯一愛した青豆という少女をモデルに殺し屋の話を書いているんだ。青豆もまた自分を愛していて欲しいという希望をこめて。青豆編は月が二つのフィクションの世界だけど、天吾編は、月が一つの現実の世界なのだろう。」と予想して読んでいましたが、どうやら違ったようです。

天吾もまた、月が二つの世界、1Q84年に送り込まれていたのです。
その二つ目の月は、ふかえりの文章を改定する段階で彼自身が書いたディティールそのものでした。
自分とふかえりで書いた作品世界に自ら入り込んでしまったということでしょうか。

2巻目の帯には「心から一歩も出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。」とあります。
青豆と天吾は、互いへの想いを心の外に出したことがなさそうです。それが1Q84年を産んだのでしょうか。
1Q84年は、二人がドラマティックに再会するためのあおつらえむきな世界として存在しているようです。
映画版しか見ていませんが、村上春樹原作の「100%の女の子」風に言えば、「むかしむかし、青豆にとって天吾は100%の男の子でした。天吾にとって青豆は100%の女の子でした。二人は離れ離れになりましたが、再び強く惹かれ合い、後一歩の所まで近づきました。しかし、二人はもう、生きて出会うことはなかったのです。悲しい話だと思いませんか?」といった所でしょうか。

青豆編のラストで、青豆は拳銃自殺したようです。
その頃、天吾の父(多分血が繋がっていない)のベッドの上に空気さなぎが出現しました。
天吾は、その空気さなぎを自分のものだと直感しました。
しかしそこから出てきたのは、天吾のドウタ(ドーター、「娘」の意だと思われる)ではなく、10歳の姿をした青豆だったのです。
てっきり、アニメ「灰羽連盟」の灰羽達のように、前世で死んだ(らしい)時の姿で繭ならぬさなぎから生まれて来るのかと思いましたが、そうではありませんでした。
ドウタは、マザ(本体。マザー、「母」の意だと思われる。普通は初潮前の少女らしい?)の心の影の部分らしいです。
確か、村上作品「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」でも同じような設定を用いていました。心の影を切り離されると本体は…みたいな。
天吾の空気さなぎから青豆が出てきたのは、青豆こそが天吾の半身、分身、片割れ、ベターハーフであることを現しているのでしょうか。
青豆は、永遠に失われたわけではなく、これからも天吾の体の中で生きていくのでしょう。
文字通り、「私は天吾くんの血液の中にいて、その体を巡っている」「彼の中にこうして含まれている」という言葉まで出ていますから。

女性が人形の股ぐらを蹴り上げる訓練が笑えました。それを含め、この作品には「睾丸」という言葉がよく出てきます。
睾丸を蹴られるのは、男性にとって世界の終わりみたいなものだそうです。
「世界がおわり王国がやってくる」
青豆は、自分にとっての「王国」とは、天吾の内部にいるここなのだと悟りました。

ふかえりは、「オハライ」と称して天吾と交わりました。
この、「自分からは望んでも働きかけてもいないのに、17歳の美少女とセクロスすることになってしまった」という状況や「年上の彼女を抱きながら、頭の中にはやせっぽっちの体操服少女がいる」というのは、男性の理想とするところのひとつかもしれません。
30歳と17歳の性行為は、なんかの条例や法律にひっかかってそうですが、オハライだし、ここは1Q84年だし、ってことでセーフ。か?
この辺りは、長門有希というよりエヴァンゲリオンの綾波レイの方がイメージに合う気がします。

ふかえりやその父、そして宗教法人「さきがけ」は、元の1984年にも存在していたのでしょうか。
「あけぼの」による銃撃戦があり、警察の制服と銃が変わっているのが1Q84です。
それには、リトル・ピープルが関係していそうです。
1Q84に生きる人々には、世界の切り替わりは認識できていないようです。
月が2つに見え、世界が切り替わったことに気づいている人はほとんど居ないと言います。
気づかないままそこに居るというのは、どういう人達なのでしょうか。
意識と記憶をもった生身の人間と考えて差し支えないのでしょうか。
それとも、オンラインゲームにおけるボットのようなものなのでしょうか。
1Q84で「空気さなぎ」がベストセラーになったわけですが、読者達は2つの月をどうとらえているのでしょう。

青豆が1Q84に入ったのは、天吾が「空気さなぎ」のリライトをしたことが原因の一つらしいです。
しかし、ふかえりの見たリトル・ピープルやコミューン「さきがけ」と「あけぼの」の分裂などは、1Q84的存在です。
小説を書いたことで1Q84の世界に来たのに、その元になったふかえりの体験がすでに1Q84のもの、となると、入れ子形式になっていて起点がわかりません。
パラドックスが起こっているような、大変奇妙な感じがします。
作中では、「結果と原因が錯綜している」と表現されていました。

パシヴァ(知覚する人)とレシヴァ(受け入れる人)であるふかえりと父。
彼ら彼女らは、個人の心の中にしかないはずのものを知っています。また、青豆が天吾のそばにいることをも知っていました。
これでは、読者もしくは作者視点です。
私達の住む世界がフィクションだとすれば、その外に存在する神的な存在がそれにあたります。
パシヴァとレシヴァには、それを認識する能力があるということでしょうか。

青豆と天吾がフィクションの存在だとしても、というか事実、村上春樹の書いたフィクションの登場人物なのですが、それでも彼等の互いの愛によって、それは作り物ではなく現実の世界となっているのでしょう。
フィクションの世界では、登場人物の内面が描かれれるため、それが読者の目に触れます。
「心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。」というのは、そういったことかもしれません。
さくらももこの「コジコジ」という漫画に、同一作者の「ちびまるこちゃん」より、まるこ子とその祖父が登場した回があります。
そこでまる子達は、自分達が漫画のキャラクターであること知り、祖父に至っては、自分の「心の俳句」を大勢の読者に見られていたという事実に愕然としたのでした。

この作品は、ジャンンル分けするならSF・サスペンス・ファンタジーの類でありながら、同時にラブストーリーでもありました。
二人とも肉体的には他者と交わって生きてきましたが、真実の愛については、この上なくピュアでした。

天吾の年上のガールフレンド安田恭子が見た夢とその解釈にゾクゾクしました。
自分が怪物そのもの。もしくは、自分が出て行った家の中で自分の帰りを待っている。

リトル・ピープルによって「失われてしまった」人間はどうなったのでしょうか。
婦人警官のあゆみは確実に死んでいるわけですが、安田恭子はそうでもなさそうです。
1984年から1Q84年へは一方通行ということですから、さらに別の世界に飛ばされたのかもしれません。
そういえば、天吾の担当編集小松は失踪しっぱなしでしたっけ。彼も失われてしまったのでしょうか。

青豆に殺人依頼をしていた老婦人が天吾の本当の母親なのかと思いましたが特にそんなことは書いてませんでした。
もし母親だとすると、出来すぎているし、人間関係が小さくまとまりすぎるので、ぼかしておいて正解だと思います。

この作品を書いた村上春樹が、2009年から200Q年に移行し、自己作品内に迷い込んでしまったりして…。という考えが頭をよぎりました。

幼女レイプ、新興宗教、学生運動、NHK集金、証人会(エホ●の証人がモデル?)、擬似レズビアン、ガチゲイ、殺し屋、在日外国人、家庭内暴力(DV)、近親相姦など様々な要素が絡み合っていて刺激的でした。
私があらすじ読まないで小説を買うと、高確率で学生運動と同性愛とロリが出てきます。何故?
それと、「不思議の国のアリス」がモチーフになっていることが多いです。
どんだけ後のフィクションに影響与えてんだよ!と毎度思います。
アリスは、幼い頃に絵本か何かで読んで以来触れていない気がするので、その内原作を再読してみようと思います。

天吾の「発作」がほとんど消えてしまったのはどう考えればよいのでしょうか。
心の芯として青豆が復活したせいでしょうか。
天吾が年上女性と付き合うのは、生き別れになった母の面影を求めてという部分があるのかもしれません。
天吾は、母は死んだと教えられていましたが。
また、青豆の禿かかった中年が好きというのも、同様にファザコン的な要素が絡んでいるのかもしれません。全然関係ないただの性的嗜好ってだけかもですが。

空気さなぎ、リトル・ピープル、タクシー運転手、ゴムの木、できたての、猫の町、スリップドレス…それらは、何の隠喩なのか。今のところ分りません。私には。
しかし、作者はきっと、計算ずくでそれらを登場させているはずです。
チェーホフの「物語の中にいったん銃が登場したら、それはどこかで発射されなければならない」に倣えば、「1Q84」という作品に出てきたほぼ全てのものには、何らかの意味と役割があるのだと考えられます。

ところで装丁についてなのですが、表紙カバーの右下部に、1巻なら黄色い、2巻なら水色の月のようなものが描かれてますね。
1巻の月がもともとあるもので、2巻の月は新しくできたものでしょうか。逆かもしれませんが。
作中だと2つ目の月は緑色となっていた気がします。
これら表紙の月の存在には、読後気づきました。
ずっと、真っ白な表紙に文字のみで構成されたカバーだと思っていたのです。それにしては、「装画NASA/Roger Ressmeyer/CORBIS」と書いてあるのでおかしいなぁと。絵、ないじゃんっていう。
NASAってあのNASAですかね。アメリカ航空宇宙局。装画が月か地球の絵だとすると、デザイン元の写真がNASA提供でもおかしくないですね。
…ごめん!はじめてカバーの一部が黄色くなっているのを発見した時、汚れだと思ってごめん!うわ、黄色くなってる!何か食べ物でもこぼしたかな?と本気で思ってごめん!
素晴らしい装丁ですよ!まじで!
表紙も本文デザインも好きです。

book3の感想はこちらです。
  1. 2009/06/23(火) 20:32:36|
  2. 読書感想文(小説)

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