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同人漫画サークル

竹本健治「匣の中の失楽」感想

【あらすじ】
探偵小説愛好家である大学生や高校生の集まる同好会で、ナイルズ、こと双子の片割れ片城成(なる)が、自分たちをモデルにした実名小説「いかにして密室はつくられたか」を書くと宣言する。
物語で最初の犠牲者になると名指しされた曳間了(ひくまりょう)が、現実にも屍体で発見された。一同は、全員が探偵であり全員が容疑者でもある中、犯人を推理することになる。

【途中までネタバレなし感想】
投げっぱなしで終わると予感していたので、解決編と、補足、あるいは真相の示唆ともとれるようなエピローグがあってすっきりしました。

作中のナイルズが、小説を書いており、それを、同好会のファミリーも読み、批評し、引用します。二重スリット実験やだまし絵のモチーフを用いた、「一方が本物である時、他方が偽物であり、同時に本物たりえないが、その両方が本物である可能性を持つ」という状況を作り出しているため、SFの手法に近いようでした。

登場人物が既視感(デジャヴ)を覚える場面が多いのですが、読者に対しても、それを起こさせる工夫が随所にみられました。
既出のワードや情景を、少しおいて繰り返し再出現させているのです。
たとえば、「海の底」は誰の記憶だったか?とページを遡って読み返すなどしました。「マリンスノー」も同様。
具体的な特定の「海の底」エピソードは一人のものですが、似たような話は、他のキャラクターも心に抱いていたようです。
既視感の正体は、何から何まで同じ光景を見聞きした、というわけではなく、どこか数点でも合致してたら、「これを知っていた」、と錯覚することらしい、と作中にもあるので、まさにそれです。
「水中から見た空」を思わせる目をした人形を気に入っている人物も複数いるわけですし。

なお、登場人物は、すべて人形(劇)モチーフの命名らしいです。一人だけ、創造主・操作側っぽい名前なのですが、さらに元ネタから言うと、魅了される、という意味で人形に操られていると言えなくもないです。

「光の玉」について。光子は干渉し合う波の性質も持つが、観測された時に常に一つの粒子である、という説明と、その少し後にでてくるエピソードの、雛子が幼少期に光の玉を掴まえようとした事、これらは、なぜかリンクさせず、作為も感じずに読んでいました。しかし、そのさらに後、街灯に照らされた雨降る道に、幾重もの波紋ができ干渉し合い光と闇が踊る情景描写で、これらは連続したモチーフか、と気づいたのです。物語全体を表す光景でもありますが、特に、雛子と布瀬には、ファミリーとは別の接続を見せているように感じます。
というのも、二人は幼馴染で、雛子が光の玉を掴まえようとしていた頃(…から2~3年後かもしれない)、布瀬少年は、彼女にとって特別な存在だったのです。成長し、二人で、「死角の問題」VS「擬態の問題」で話し合っている様子は、二者択一、まさに、光子を掴まえた方が、今のところの正解、という感じがするのです。

上記のように、直接の推理や事件とは関係のない、印象、記号、構図が全体に張り巡らせてあり、かっちり作りこまれているので、作者さんは正気であり、読者にどう見せるかしっかり分かっている方だと安心して読めました。
それらをすべてそぎ落としても、プロットだけで成り立っていそうですが、文学的趣がなくなるため、とてもよいフレーバーだったと思います。表には現れない内面の独白は、その言い回しまで含めて重要であるため、会話劇だけを映像化・舞台化しても足りなくなりそうで、文字しかない媒体ならではの良さがありました。

「総ての解決は、裏切られ、覆されるためにのみ生産されているようでもあった。」

【以下、ネタバレあり感想】

曳間が死んでいる奇数章が現実である世界と、曳間が生きている偶数章が現実である世界がありました。シュレディンガーの曳間。
解決編やエピローグを読む限り、奇数章が現実ということで決着していそうですが、私の考えた構図は、以下の通りです。

はこのなかのしつらく

a. 奇数章が現実
b. 偶数章が現実
c. aとbに登場するファミリーの読む「いかにして密室はつくられたか」
d. この本「匣の中の失楽」
e. ファミリーにとっての本当の現実
h. 「匣の中の失楽」が販売されていて、それを読む我々にとっての現実

c=d
奇数章世界と偶数章世界のファミリーが読む作中作としての「いかにして密室は作られたか」と、hたる現実の読者が読むd「匣の中の失楽」は、おそらく同一文章です。これは、「ドグラ・マグラ」でも見られた手法です。

私は、aかbが本物なのではなく、aもbも、その一部に本物をまだらに含む偽物、だと思っています。

eだけは、二重に仕切られており、c「いかにして密室~」にもd「匣の中の失楽」にも登場していません。
このeこそが、ファミリー達が真に生きている世界であり、メンバーがc「いかにして~」を執筆した階層なのではないか、と考えています。

結局は、d「匣の中の失楽」より内側は、全部、作者の竹本さんが書いたものなのですが、作品と現実との間に、絶対不可視・不可侵な、フィクションキャラクターにとっての現実世界eがあるのではないかと想像したのです。
虚構と現実を仕切る壁の中が空洞になっており、そこに住んでいる人々。eは、「黄色い部屋」の人形、本棚の「見えない棺桶」、二重に閉じ込められた倉庫と店の間にある部屋、のポジションでもあります。

その線で話を進めますと、eファミリーにとっての現実世界では、c「いかにして密室~」(内容自体はd「匣の中の失楽」と同一)のa奇数章またはb偶数章の片側のみで死んだキャラクターは、全員生きているのかもしれません。

なぜc=d「いかにして密室~」は書かれたのか。
単にファミリーのメンバーをモデルにした完全フィクションの実名小説なだけで、誰一人失われていない、ということもあるでしょうが、実際に起きた出来事を反映しているとすれば、動かせない部分が出てきます。
それは、a.奇数章とb.偶数章の両方で死んだ、あるいは、ファミリーを去った人物についてです。
雛子の両親はどちらの世界でも同じように死んでおり、雛子と杏子は8月31日に青森へ引っ越します。甲斐は、奇数章で自殺、偶数章で事故死しています。

本書に影響を与えた「虚無への供物」には、洞爺丸事故をはじめとして、ミステリや殺人、推理とは全く無関係に、何の理由もなく現実に死んでいく、たくさんの人たちが書かれていたように記憶しています。

ですから、e世界のファミリーは、圧倒的理不尽な現実、因果も象徴もない死、それを悼むとともに、残された者を慰めるために小説を書いたのではないでしょうか。
たとえば、雛子の両親の死は、ファミリーが直接画策できるものではありませんでした。陰謀も見立てもなく、遠い外国で手出しできません。しかし、雛子には、両親を旅行に追いやった、という負い目があります。
これは、何も、雛子に特有の罪悪感ではなく、家族や親しい人間が事故や犯罪に巻き込まれて突然亡くなった人に多くみられるものです。「あの時、引き止めていれば」「なんで呼び出してしまったのだろう」「私のせいだ」と。

この物語には、人間の行動を心理方面から縛り操作してしまう催眠術や、運命論ともいえるラプラスの悪魔、九星、タロットが出てきます。また、ナイルズの小説通りになってしまうといった、予言の要素もあります。

何をどうやろうと抗えず、絶対にそうなってしまう、あるいは、意識したわけではないのにそのようにしか行動できない、というのは、一見苦痛で、無力感を伴う考え方ですが、事故で身内を失った人にとっては救いになるのではないでしょうか。
雛子が両親を旅行させずとも、大体その日前後に、何らかの理由で両親は死んでいたのだ、あるいは、別の用事で外国に行っていたのだ、となれば、「あきらめがきく」し「雛子は悪くない」のです。

そんな観点から、甲斐の死は、自殺より多重事故に巻き込まれての即死、の方が、より、本当にあったことなのかな、感じられました。
自殺だったとすれば、原因は、a奇数章で倉野を殺害したことにあります。これでは、a奇数章に起こった死をすべて肯定することになり、物語として整合性が取れ過ぎているのです。(原因不明のe自殺に対し、物語の中で意味を持たせた、ということもあり得ますが。)
一方、b偶数章で多重事故死は、あまりに唐突で、彼には過失がなく、ファミリーとも関わりがありません。小説にとっては不必要な要素であるため、かえって、e現実に起こったことに見えるのです。 a奇数章でもb偶数章でも、甲斐の死は誰の責任でもない、闇の傀儡士とも鬼の仕業と取れる我々のあずかり知らぬ巨大な闇に殺されたのだ、と取れそうです。
もしかしたら、e現実では甲斐が生きていて、一緒に小説を読み「俺なんですぐ死ぬのー俺のこと嫌いなわけ?」と苦笑いしているのかもしれません。

終盤、人形を売り払い、別に黄色くもなくなった改装後の店、スナック「帰路」。これが、eにおける「黄色い部屋」の、はじめからある本当の姿なのかもしれません。
ファミリーが、「自分達の会合場所が、一風変わったお店だったら面白くない?」「ついでに、僕らが住んでいる部屋も色にちなんだ命名にしようよ」「羽仁なんて小説じゃ豪邸に住んでるだぜ」と創作したのではないでしょうか。
書き手をナイルズに設定して。

「そうして密室はつくられた」・・・?

「いかにして~」の作者は、ナイルズとされていますが、eでもナイルズが執筆しているのでしょうか。
本当の作者は誰か。
ファミリーの中であれば、誰でも書ける立場にはありそうです。
そのままナイルズが書いているとして、自分自身を小悪魔系あざとかわいい美少年として描写しているのは、名前が「成(なる)」だけあってナルシストっぽいです。周囲から異論が出ない所を見て、本当に妖しい魅力を持っているのでしょう。

ナイルズのような子供に書けるとすれば、15歳の雛子にも書ける可能性があります。推理力では、他を圧倒していましたし。
それぞれの古い思い出話がありますので、ファミリー全員で意見を出した合作ということもあり得ます。単独執筆であれば、会合に出入りするうち、誰かから聞いた話を膨らませているのでしょう。

曳間了が、自身の論文「記憶くりこみ原則」「記憶超多時間原則」を駆使して書いた実験小説でも良いし、他のメンバーに執筆させて、曳間が監修するのも良いでしょう。

物語は、いつ書かれたのか。
リアルタイムの7月~8月ではなく、すべての終わった9月1日以降に書かれたのかもしれません。
雛子と杏子が引っ越した他、理由のよくわからない失踪者もあって、ファミリーの会合は人数が減っています。
メンバーが執筆しているなら、雛子たちのいない喪失感を紛らわせ、集まる動機を作ることになります。
作者が雛子だとすれば、楽しかったファミリーでの思い出を懐かしみ、メンバーをモデルにした小説を青森で書いた、という形になりそうです。
また、美少年志向や双子萌え、オネショタ、男性同士の美醜に関する愛憎、あたりは、腐女子の素質があれば描けます。男性でも、ミステリ怪奇小説作家には顕著な傾向ですけれども。
 
以上、eという現実階層などが存在せず、全てが私の妄想としても、作者の竹本氏によって、人形と九星、色彩に関する名前と住所、部屋を与えられて、あらかじめ運命をがんじがらめにされ、すべての行動やモノローグを規定された登場人物達たちにあって、その限定されなかった自由な個性や世界があると想像する行為は、a世界曳間の残した手帳にある、「何度思考実験を繰り返しても、微調節など効かない髪の毛ほどの隙間のために、塔は崩れ落ちる。しかし、何度落雷に崩れても塔はそのたびに立つ」、という旨の文言を実現するのに、一役買うのではないでしょうか。フィクションと想像の力で、お釈迦様の手のひらを逃れ、定めに抗うことができるかもしれないのです。
曳間の思想は、いつも齟齬が出て、何度やっても崩れる、が可能性がゼロではない、という点で、a曳間の姉がやる、「尖ったものの先端に球体を乗せようとして失敗し続ける作業」に似ています。
b黒い部屋で、影山が提唱した「トンネル効果」と同じくらいの可能性でうまくいく。そうすると、曳間の姉的には、「世界が救われる」のです。まるで、「悲しみの無い天国が降りてくる確率」の話みたいに見えてます。実現性は限りなくゼロに近いのに、運命に抗い、諦めない、なんてことを試行し続けるには、すでに狂っている人にしかできないでしょうか。

作中のナイルズ(d範囲内)は、まだ正常な凡人なのだと思います。自分の小説について、羽仁から、「そこまで人ひとりを誘導できる力があるか、甚だ疑問だ」と言われて、「不思議にしあわせな絶句」をしたのです。
たくさんの悲劇が自分の責任で起きたわけではないし、そんな能力は持っていない、というのは安堵につながるでしょう。
もし、ナイルズが他人のことなどなんとも思わず、操ること自体が快感であるタイプだったら、「なんだ、僕には神の権限や超能力はなかったのか」、とがっかりするでしょうが。

自らが操作者側になってしまえば、強烈な重圧がかかります。悪意の傀儡師なら、どれだけ人を不幸に陥れてやろうか、とただただ面白いだけでしょうが、できるだけ不幸を減らし、幸せにしたい、なんていう場合、どこをどうやれば達成できるか取捨選択が必要であり、たくさんの命を左右することになるため、激しくキャパシティオーバーに陥ります。二人以上人形繰りがいるなら、糸が絡まないようにしなくてはならず、計算が煩雑になります。
a曳間あたりは、範囲が限定されるものの、いや、無限を小さく区切ったからこそでしょうか、他人のコントロールが可能なようです。a世界準拠のラストでは、曳間がその力を使って、惨劇のお膳立てをしたのではないか、とあります。それでいて、絶対に思惑通りいかないでほしかった、という矛盾があったみたいです。
その仕掛けに自らの死を含ませるために自殺したのか、または、得つつあった能力に耐えかね狂いそうだったのか。
残酷な世界を反転させるには、到達不可能とも思える不連続線の向こう側に行かねばならぬ、だから、起きようもない連続殺人を引き起こして見せよう、それが可能であれば、また、姉の発狂した世界も終わり、彼女を取り戻せるのかもしれない、といったさかさまだらけの動機があったとも取れます。

影山非実在説、というのが作中に起こり、そして否定されましたが、彼は、e現実にはいない、純粋なフィクションキャラクターのように感じます。それどころか、最もメタな視点のために登場させられている気がします。作者が、せっかく九星と色彩についての設定をたくさん入れたのに、読者が誰も気づいてくれなかったら悔しいので、ヒント出し係として少し違う階層、例えば、X-Y軸平面上ではなく、手前や奥、Z軸に回転しずれた所に配置した、だから、都合のよい場面で登場するのではないでしょうか。狂言回しというほどではないのですが。そして彼自身からすれば、物語の枠内には入ってしまっているので全貌が見えておらず、「単なる悪戯だったのに」と、遁走してしまうのです。
ノストラダムスの予言だって、どうとでも取れるし、聖四文字、と言ったら、さまざまな発音があるでしょう、というのが、作中にもありましたから、暗号文は、解けたところで本当に意味のない、言葉遊びだった気がします。ファミリーの運命を言い当てていたにしても、やれ予定と間違えて殺されただの、いや、予定通りだっただの。解釈しだいでこじつけられます。
運命を司る上位存在や作者の手、下手人、そのものではなく、それらの影。というのが影山ではないでしょうか。
風が草木を揺らすことでその存在を知らせるように、影山という影ができてる箇所には、透明な何者かがいる。
「僕は影 漸く姿とどめる者」

以下、e現実の存在という仮定は無視して、作中の描写についてのみ感想を。

曳間了(ひくまりょう)の元ネタがピグマリオンだとすれば、根戸が恋をしたという曳間の姉と、彼女にそっくりな杏子は、その神話のさかさま、ということになりそうです。
ピグマリオンでは、現実の女性に失望した主人公が、理想の女性像を作りますが、本書では、理想女性がすでに発狂し人形のような、手には届かない存在となっていました。彼女に似た、人間の女性に恋をして破局をしているのです。
さかさまでない例えだと、神話の人形が人間になったように、(自分の作ったわけでもない)理想の人形が、ある日人間として目の前に現れた、風に間違えた、とも取れます。

作中に、花の描写が出てくるたびに、「本当はそこにはないんだけど、あった方が小説っぽいし、言葉によらない含みを持たせられるでしょ」と、ナイルズが「花言葉辞典」を引きながら書いている、という風に見えました。aでもbでも、すべて、ナイルズが書いた小説、ということには違いなく、「現実に起こったことをモデルにしている」か「一から創作である架空エピソード」かという差なのです。もし、その季節には日本関東で咲いているはずのない花、が登場していたら間違いなく虚構の箇所となり、その反対章が本物なのでしょうが、知識不足でそこまでは分かりませんでした。

トリックや殺人現場としましては、せっかく密室があるのにその外で死んでる、というのと、密室の中で鍵を飲んで死んでる、というのが、異様な光景で面白かったです。

また「屍体のある殺人」という、「そんなの当たり前だろう」、ということが、「消失事件」の後だと、感覚が逆転して、「うわ、現物がある!」という変な驚きがあって好きです。

登場人物が無言で何かを考えているが、傍から見て分からないという場面は、あとで、そういうことだったのか、と納得できるのが良かったです。倉野が、ナイルズとともに事件後アパートに入り、戸口で何かの衝撃を受けて、立ちつくしてしまった理由、羽仁の言う「プルキニエ現象」という言葉に布瀬が反応した真意などですね。
溜めた分、急速に、心理を深く追体験できました。

酷く蒸し暑い7月の終わりに、扇風機の風にあたりながら小説を読んでいたので、不気味な臨場感がありました。上の自作図、hが一番外側とも限らないような、虚実入り乱れた読書体験ができました。これ以上、その気分を突き詰めると、曳間の姉コースなので控えますが。

この記事を書きながら読み返したら、たくさんの記憶違いや取り違え、入れ替わり、混同、程度の変化が発覚しました。
雨の夜を、晴れた昼と間違えていたのは、さすがに私の落ち度かもしれませんが、それを含めたミスは、同じシステムにより発生していました。客観的な会話や天気、物体、人物に対して、主観的な心理エピソードが隣接した時、互いに引っ張られ変形した状態で記憶されていたようなのです。さらに、別の類似ワードがトリガーとなって、芋づる式に間違えて想起され、気づけば、元とは似ても似つかないものを作り上げていました。これを応用すれば、他人の「勘違い」「思い込み」くらいは、誘導できそうです。記憶錯誤は、曳間の専門分野でしょうね。
  1. 2016/07/31(日) 03:04:17|
  2. 読書感想文(小説)

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