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同人漫画サークル

「ご冗談でしょう、ファインマンさん」「困ります、ファインマンさん」感想

ファインマン書影

「ご冗談でしょう~」は、岩波現代文庫にして上下巻。「困ります~」も同文庫で一巻完結。
全て、大貫昌子さんが翻訳を担当しています。

他の邦題「ファインマンさん」シリーズは、タイトルフォーマットこそ共通ですが、ファインマン本人による作は、ここで挙げる3冊だけのようです。

ノーベル物理学賞受賞、リチャード・ファインマンによるエッセイです。
「ご冗談~」は、ある程度時系列順に並べられているため、自叙伝のように取られがちですが、本当は、もっと独立したエピソードを集めたものらしいです。

「美」や「芸術」に対する考えは度々登場します。本格的に科学方面を押さえた人でなければ説得力を持って書けないだろう内容です。

人には言わなかったが実はある理由で、僕はぜひ絵を描けるようになりたいと前から思っていたのである。言うなれば、この世界の美しさに対する感動を、何とか表現したいと思っていたのだ。(中略)この世界で外見も性質も全然異なったものが、実はその「背後」では同じ組織、同じ物理法則に支配されているのだということを考える時、人間が感じるあの気持ちも宗教感情に一脈通じるものがある。それは自然の数学的美というもの、言いかえれば内側で自然がどのように働いているかを味わうことであり、僕らが目のあたりにしている自然現象というものは、実は原子同士の複雑な内的活動の結果なのだということを悟ることでもある。


ある日面会に行くと、アーリーンは漢字の練習のまっ最中だった。そして
「あら、この書き方はちょっと間違ってるわ」
と呟いた。そこでこの「大科学者」たる僕は、よせばいいのについ口を出した。
「間違っているって、どうしてわかるんだい?字の書き方なんて、たかが人間が作りだした習慣じゃないか。自然にはどんなふうに見えるべきなんて法則はないよ。」(中略)美しい筆蹟で書くには、特別な筆のもって行き方というものがちゃんとあるのだ。決して定義することができないにもかかわらず、美にはある定まった「何か」があるのだ。定義ができないというだけで僕はこれを信じなかったわけだが、この経験のおかげで、そこには確かに「何ものか」があるということを悟ったのだった。


僕の友達に絵描きがいて(中略)一輪の花をとりあげて、「ほら見ろよ。実にきれいだろう?(中略)僕は絵描きだからこの花の美しさがわかるが、科学者の君ときた日にゃ、まず第一にこれをバラバラにしてみようとしたりするんだから、せっかくの花もてんで味気のないものになっちまうんだ」と言ったりする。(中略)彼が見ているその美しさというものは、僕を含めたあらゆる人間に通用するもののはずだし、僕にだって花の美しさはよくわかる。(中略)花の中の細胞を僕は想像できる。(中略)細胞のこみ入った活動やさまざまな過程がちゃんと存在している。(中略)科学は花の美しさにますます意味を与えこそすれ、これを半減してしまうなどとは僕にはとても信じられない。



より小さい構成単位や内部構造、目に見えない法則に対する興味が描かれています。
科学を持たない人々は、長年それを想像や手近な知識で補い体系化してきましたが、科学者も根は同じであるようです。

ファインマンは、鍵開けとパズルのマニアである上、好奇心旺盛で、おかしなイタズラをたくさんしている人でした。
謎、特に答えが必ずあるものならば、なんとしてでも解きたくなるのですね。

催眠術の実験台に自ら立候補したファインマンでしたが、なぜか術者の命令に逆らえず、火傷までしました。しかも、マッチを押し付けられているのに熱さは感じていなかったのです。
結局、そのカラクリは分からずじまいで、「催眠術にかかったらどんな気持ちになるのか」という疑問に対して、「ふしぎだった」と感じるだけでした。後の物理学賞受賞者だって、他の分野については分かるものではないのですね。ここで無理にこじつけないのが信頼できます。

ファインマンは、感覚遮断実験の被験者ともなりました。体を張る男です。
まだ自分で幻覚を見られなかった頃は、感覚遮断のためにアイソレーション・タンクを考案したジョン・リリーやその他の被験者に対し、どんなに真実らしきものを見ても、嘘だ、存在するわけではない、と釘を刺していたのですが、自分で見た「自我のあり方」妄想―僕の自我が1インチ偏っており、腰の高さまで下ろせば、それより下にある両手が両側ではなくなんと一方にあり自我は体の外に飛び出した―を、タンクから出て語ってしまったのです。45分間正気に戻ってこれなかったわけですが、1時間以内で済んでよかったですね。
ファインマンは、そのうち幻覚を見るためのタンクすらいらなくなるだろう、と考えました。
練習するに至りませんが、自室でもできそうだと。…常時この状態だと外歩かせるわけにはいかない危険度ですね。

他の章にある自身の夢観察もそうだったのですが、深みに嵌って生活が破綻する前に引き返せているので、現実に踏みとどまるバランス感覚は優れていそうです。

「僕はもう幻覚を見るためなら何でもやろうという気になってタンクに入った。」
という箇所に性格が出ています。
親鸞がどんなに五体投地を繰り返しても全然仏が見えなくて焦る場面に似ています(←フィクションだけの創作エピソードかも)。親鸞もタンク入ったら良かったのでしょうけど、手順を間違えているということで仏の道から外れそうです。

負けず嫌いであるとともに、専門分野以外でも探究心のすさまじいことが分かったのは、マヤ写本解読の件です。
グアテマラ美術館で購入した写本のコピーでは、左側に写本、右側にスペイン語の解説が印刷されていました。
ファインマンは、右側を紙で隠し、それを回答編として、左側の写本本編だけで何を書いているか当てる「ゲーム」を一人で始めたのです。
写本の内容が、地球から見た金星の会合周期と月食の周期であったことを突き止めてから、隠していたスペイン語解説を読むと、「このシンボルは神を表わす」などと、でたらめが書いてあったのです。
自力で、より正しい答えにたどり着いてしまっている所が面白いです。もしはじめから解説を鵜呑みにしていたら、マヤ人の凄さが分からない所でした。ここまで数年もかかっています。

ファインマンは、素人マヤ研究家でありながら、写本の真贋まで分かるようになり、どうせならこういう偽物を作れという原案まで出しています。

むろんこの写本もまた、何の独創性もないツギハギの偽物であることは明らかだった。
このようなニセをでっちあげる連中は、ほんとに独創的なものを作り出す勇気など持ち合わせていないのだ。何か本当に新しいものがみつかったのなら、真に異なった何ものかを含んでいるはずだ。また本当に凝った偽物なら、たとえば火星の周期のようなものを選んで、それに合う神話などをでっちあげ、これを表わす絵を描き、火星に合ったような数字もつけたす、というようなものであるべきだ。しかもしれがすぐばれてしまうようなものでなく、神秘的な「間違い」まで含む周期の倍数表などのついたものでなくては話にならない。数字だってもう少しひねったものでなくてはつまらない。そうすれば皆、「こりゃすごい!どうも火星と関係があるらしい!」などと感心することになるはずだ。しかもこの中には、理解できないような、前に人の目に触れたことのないようなものが、いくつかある方がいい。それでこそ「あっぱれな」偽物と言えるのだ。


真面目な考古学者や歴史家、科学者ならば、偽物を作ろうなんて愚かで紛らわしいことやめてくれ!検証にかかる人員の労力や費用、時間がバカにならないから!と憤慨しそうなものですが、ファインマンの場合、手の込んでいる本気の面白いニセモノをつくってみやがれ、というズレた価値観を持っています。

彼の感情は、自然や法則、美、謎解き、面白さ、で特に動きますが、自身の良心や罪悪感に関してはドライです。文章にしていないだけかもしれませんが、自分の関わった技術で人が死ぬことについて、何の手ごたえも反応もなさそうでした。

ファインマンは、ロスアラモスで原爆の研究に関わりました。原爆投下成功後、広島の被害範囲を自分のいる街に置き換え、「どうせ壊れるんだから道路や橋を作っても無駄なのに」と考えています。都市や国という単位で俯瞰し、人間の生活や精神は視界に入れていないシミュレートをしているかのようです。
職場の皆は、原爆が完成した喜びでいっぱいだったのですが、ファインマンは当時を振り返り、「考えることを止めていた」と言います。そんな中「僕らはとんでもないものを造っちまったんだ」とふさぎこんでいたのは、考えを止めなかったボブ・ウィルソンただ一人でした。
思考停止は、さまざまな感情を麻痺させるのかもしれません。しかし、そうでなければ成せない偉業もあるでしょうし、一長一短でです。

実在ということへのこだわりは大きそうです。

放射能の暖かみだ。この球こそプルトニウムだった。


これこそ人間の手で造られた新しい元素、おそらく地球の誕生直後のほんの短期間を除いては、今まで地球に存在したことのない元素なのだ。それがここにこうして隔離され、放射能を放ちながらその特性をちゃんと持って存在しているのだ。しかも僕たちがこの手で造りだしたのである。だからこそ測り知れない価値があるのだ。



最初の妻アーリーンの死後、「アーリーンの体にどのような生理的変化が起きていたのかという考えでいっぱいだった」旨述べている所は、マッドです。愛する妻をまず、物質としてとらえてます。
初めて悲しみにつつまれたのは、それから数ヵ月後、デパートのショーウィンドウを見て「アーリーンに似合いそうな服だ」と思った時です。
なお、アーリーンの重病が分かった時の苦悩などは、ちゃんと人間らしいです。

原爆に関する資料は、機密度が高いわけですが、どのように扱ったのか、という事が書かれています。
移動時は筒にして背中にくくりつける、キャビネットに南京錠のみでしかも鍵のかかったままで簡単に取り出せる、サンタフェへのスパイがいたのに誰も気付かなかった、大戦後に厳重警備の図書館に保管されるもすでに機密解除部員がコピーを持ち出し自らのオフィスに置いている、など、いまいち、厳しいのかそうでないのか分からない機密管理方法です。
流出を罰する法律や規則はないのでしょうか。

広島の原爆投下直後に飛行機へ搭乗したファインマンは、トイレに鞄を持ち込むのは狭くていやだからと、隣席のご婦人に預けてしまいました。

「実はこのカバンの中には、今話題の原爆の秘密が入っているんです。僕がトイレに行ってくる間、すみませんが預かっていただけないでしょうか?」


ただのおばさんでよかったですね。何気なく乗り合わせた一般人を装ったスパイだとか、勝手に中身開けるようなずうずうしい人だったら、大変なことになっていたでしょう。
事実を素直に述べただけなのに、嘘にしか聞こえない、というタイプの機密保持方法は面白いですけどね。

「困ります、ファインマンさん」は、チャレンジャー号爆発事故の調査に多くのページを割いています。
円形ロケットの断面がどれだけ歪むかというNASAの資料を貰ったファインマンは、いいかげんさに驚きます。
たった3箇所、60度ごとの直径しか測っていなかったのです。
本書に載った図を再現するとこんな感じです。
歪み円

ボリュームがあって事故原因や国家・NASA・事故調査委員会の力関係は、あまり理解できていませんが、報告書の「付録」になった部分は主報告の数ヶ月後に出されるから誰にも読まれない、コンピュータにゴミを入れたらゴミな結果を吐き出すという概念GIGO(ガーベージ・イン、ガーベージ・アウト)、付録と盲腸は同じ英単語で表わせること、宇宙工学用語はアルファベットによる略語が膨大にあること、などが記憶に残りました。
また、どうもNASAは、大統領の演説予定がどうであろうと、技術的安全性がいかなるものであろうと、なにがなんでも飛ばすのだ、というロスアラモスの原爆開発初期に近い熱意をもっていたのではないかという印象が述べられていました。

テーマ:読んだ本の感想等 - ジャンル:小説・文学

  1. 2015/11/16(月) 17:27:37|
  2. 読書感想文(小説)

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