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伊藤計劃×円城塔「屍者の帝国」

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【あらすじ】
フランケンシュタイン氏が最初のフランケンを生み出してから百年、死者蘇生技術は広まり、軍事や産業の分野で活用されていた。
ジョン・ワトソンは、ある日、エイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授の手引きでMらに面会、政府諜報機関の任務として、ロシア帝国が南進をするアフガニスタンの調査へ向かう。

【途中までネタバレなし感想】
既存のフィクションに登場するキャラクターが多数出てくるため、豪華で骨太なクロスオーバー二次創作小説という印象です。
ゲームでいうと、スマ/ブラやロボ/ット大戦のような趣があります。

文体や価値観、作風がかなり伊藤計劃らしかったので、大半を書いた様に見えましたが、実際には、第一章の前、プロローグまでだと読了後に知り驚きました。残りの全ては、円城塔氏作だったようです。

漢字にカナを振り外国語の音と意味を両方示すやりかたは以前から多用されています。
今回は、「霊素」「幽霊」を「スペクター」と表現してました。

主人公ワトソンは、探偵シャーロック・ホームズシリーズの相方、ワトソン君です。完全に同一人物とは言い切れないかもしれません。
Mは、007シリーズに登場するMI6長官の歴代名ですが、シャーロック・ホームズの兄、マイクロフト・ホームズとしても描かれています。彼は、イギリス秘密諜報部SISの前身組織で長官だったらしいです。ホームズ原作時点で。元ネタ自体がかぶってるのでまとめるのには良いですね。イニシャル同じですし。

計劃氏は、メタルギアソリッド(以下、MGS)のファンとして有名ですが、007の二次創作をやられてたことあります。しかも漫画です。絵がうまいです。
本作の、素体に擬似霊素をインストールし動かすというモチーフが同じなので、それを元に話を広げたのでしょうか。
伊藤計劃作 007まんが 「女王陛下の所有物」
上記のサイトを開いて上の段にあるファイルをクリックあるいはダウンロードすれば読めます。
なお、これは、ジェームズ・ボンドの役者が次々代わっていっても、同じキャラクターとして認識されている、というメタ・フィクション要素を、作中だけでも成立するようにしたSFとなっています。本家の007にはそんな設定ゼロなはずです。
「屍者の帝国」には「自立した物語」というワードが出てくるので、そこにも引っかかってきそうな要素です。
役者本人からしたら、自分の前後にあたるボンドを演じていないのに、自分であるはずのジェームズ・ボンドは過去にも未来にも存在し、自分と似たような性質を有し、周りからは同一人物として扱われているので。
「間諜」(スパイのこと)「幽霊」には両方「スプーク」とルビがふってあります。
今作品で諜報を扱ったのも、魂、霊魂と、スパイをかけているのでしょう。
作中では、屍者のような人間こそ諜報員の素質があるという描写があります。

屍はしばしば細かい判断ができない、という例として、日本の内乱サツマ・リベリオン、こと西南戦争での件が挙げられていました。
明治政府の屍兵団が、政府軍に偽装した反乱軍の田原坂通過を許してしまったのです。クリーチャーが旗を誤認したために起こった事件でした。
屍爆弾なんていうものもあります。歩く兵器で、人権の欠片もありません。消耗品です。言葉が話せません。弱いAIに似ているかもしれません。

屍者の傭兵や、それを操るソフトウェア(ネクロウェア)の輸出が行われています。
現実でいうと、昔のスイス傭兵や、武器・戦術を売る人に近いのでしょうか。

他のSFでも、いかに人間の労働や戦争を、ゾンビやロボットや人造人間に代理してもらうかというのがテーマになっていることが多いので、「働きたくないが人生を謳歌したい」という願望は世界共通なのかもしれません。なお、SFではそれが実現した後、大抵人類が滅亡するか、その危機に陥ります。

ナインチンゲールが屍者について提唱したフランケンシュタイン三原則は、物語内で的を射ていたことがわかります。彼女が提唱すべきだった(が違った)規則、として挙げられているものは、ロボット三原則のパロディになっています。

ロボット三原則の元ネタが出てくる小説
アイザック・アシモフ「われはロボット(Irobot)の感想 はこちら。

やはり、屍者は、非人間の奴隷労働階級としてのロボットという意味合いが強そうです。

ロボットの語源となった小説
カレル・チャペック「R・U・R(エル・ウー・エル)」の感想はこちら。
※ロボットを作るための手記が重要視されている所や、キリスト教モチーフになっている点、ロボットに見える人間、人間に見えるロボット、という点で本作とテーマが近い。機械ではなく、人造人間ともいうべき生体組織でできている。

ワトソン達が目指す「屍者の帝国」、そのトップと目されているのが、アレクセイ・カラマーゾフです。

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」感想はこちら

「カラマーゾフの兄弟」に登場する三男アリョーシャですね。カラマーゾフは未完ですが、続編では、何らかの経緯でアリョーシャが革命家になるとされていたようです。
温和で聞き分けのよい聖職関係の彼が何をどうやったら政治や闘争に向かうのか謎でしたが、本作で、表の歴史とともに仮想穴埋めがしてあります。
次男イヴァンが面白いことになっていました。
アリョーシャの師は、秘密結社の散り散りになった資料を集めていた人であり、フランケンシュタインに協力したことになっています。

屍者蘇生技術の書かれた手記の内容とは。また、それは本当に屍者蘇生について書かれているのか。
人間と動物を隔てるものとは、受け継がれるX(菌株)とは何なのか。
このあたりは、伊藤計劃さんらしい発想です。どこまでプロットがあったのかは不明ですし、文章化しているのは円城塔氏ですが。
作者二人の関係性自体が、「屍者の帝国」本編とリンクしています。

作中、妄想だと断りつつ、パンチカードは、読む人の欲望によって、見たいように見えるものではないか?という疑惑が書かれています。
本書でも下敷きになっている聖書もその類ではないでしょうか。どうとでも読めますし、ハイライトになるイベントだけでも、どこかしらに感情移入できそうです。また、人の願望が含まれているでしょう。
形状としては、音楽や、知らない言葉、と言ったインスト、抽象画、に近いかもしれません。これだ、という意味が分からないので。

ヒロインの美女ハダリーは、「未来のイヴ」という小説に出てくる人造人間であるらしいです。(未読)
「屍者の帝国」では、人形、従僕、奴隷、のイメージを己に対して持っている上、計算機のようで、他人に対して「あなたは魂を持っているのね」と話す不思議なキャラクターです。現在の二次元漫画・アニメ・ラノベに出てくる美少女、「俺の嫁」像の一つに近そうです。
彼女は、機械製のチェシャ猫のようだと表現されていました。

チェシャ猫の元ネタ 
ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」感想はこちら

他人の魂が本当に存在するとどうやって確かめるのか、世界に自分一人かしないと主張する者が二人いたら、独我論者として成り立たない、この考えは過去作にもあったように記憶しています。
突き詰めると、自分以外の人間には魂が入っていないので物と同じように、それらしく周囲の世界を形作っているということになってしまいます。
しかし、本当に確かめようがないんですよね。だからと言って、傷つけたり殺したりして良い、なんていう発想になったらどこかに幽閉しないといけません。
「あなただけが魂を持っています」と指摘するのは、魂を持たない者にもできる、という仮定は、計劃氏っぽくもあり、円城氏らしくもあります。

あらゆる文、音声、映像によって描かれた対象、思考というのは、屍者性を持っているように思えてきました。
何かの意志は表明した、喋った瞬間以外は全て過去に過ぎ去るのが当たり前なのでしょうが、人類は記録力を手にしたため、残り変容し拡散し、誰かが閲覧した時点で、それ自体はもう何の自我も持っていない、という状態が蔓延したように思えます。
時間差でコミュニケーションをとることすら可能です。
あとは、これが人の形をして人として新たに振舞えば屍者なんだと思います。
役に立つ、仕事をする、というハードルが高いですが、教育や娯楽、ニュースの面ではすでに実用化されています。

ヴァン・ヘルシング教授の言う「病理学の伝承的側面」では、吸血鬼はコレラの擬人化である可能性、「早すぎた埋葬」はカタレプシーの誤診で実際に何件か起きただろうと推測しています。
「伝承の病理学的側面」ではないと断っているということは、伝承が病理を表しているわけでも、病理のように伝染するのではなく、正しい病理の知識が形を変えて伝承していくということを表しているのでしょうか。

「早過ぎた埋葬」は、人の噂話でもありそうですが、小説家の名前も別の場所で出てきていることですし、これが元ネタだと思われます。 

エドガー・アラン・ポー「早過ぎた埋葬」感想を含むエントリーはこちら
注※他の短編のネタバレがあります。また、文体やノリが現在と違いますが、昔の私が書いてしまったのでそのままにします。耐え切れなくなったら適時上書きします。

【以下、ネタバレあり感想】

大村益次郎は、頭部の怪我をサポートするためネクロウェアをインストールされているようです。まだ、人間のはずですが、自分の感覚がどこまで自身のものなのか、どこからがネクロウェアにより思わされていることなのか分からなくなっているようです。
計劃氏の過去作品でいう、Watch Me、ナノコンピュータ、そのインスピレーション元だろうメタルギアソリッドシリーズに通じるものがあります。
そして、それは、現在スマホ片手に何でもコンピュータに尋ね、思考を補強していることにも近いものがあります。また、向精神薬やカウンセリングも近い働きをします。

全てウェアにゆだねることが屍者と同一だとすれば、計劃氏の過去作にある、進化というのは死人に近づいていくことなのだ、という主張と一致します。感情意思決定すら外部に委ねたらもう人間としての自我は必要なくなりますから。

また、もしも、人間より優れた屍者を作ることが認可されれば、生活はどう変わるだろうか、生者の脳に一部ネクロウェアをインストールしたら?とシミュレートしている箇所も、Watch MeやMGSに似ています。

技術によってもたらされた楽園(エデン)なのか?という問いは、上記の「R.U.R」にも見られます。
食べ物はロボットが口まで運んでくれる、忌々しい楽園だと。

「生命とは、性行為によって感染する致死性の病」という台詞が出てきます。
フランケンシュタインに生み出された怪物ザ・ワンの、望んでないのに勝手に作られた自分にも伴侶が欲しい、という願いと相まって、根源的な衝動は結局それかもしれない感ありました。
よく知られる物語上、フランケンシュタインは、ザ・ワンの醜さを嫌悪して結局嫁をくれなかった、ザ・ワンは捨てられた、だから創造主の花嫁を殺害して逃走した、となっています。
本作では、フランケンシュタインの人格が下種なことと、ザ・ワンが醜かったこと自体が後の創作である設定になっています。
現実には、醜くなくてもあるだろう寂しさでしょうし、伴侶がいても、違うやっぱこれじゃなくてもっと完璧に自分の対(つい)になる存在がいるはず、幻想は残っていると思います。
しかし、決定的な差異は、ザ・ワンが人間ではないことです。それと、性行為を経てません。マリア様の子供、キリストと同じです。
神の子というよりはアダムとして描かれていましたし、キリストの死んだ年齢33歳と同じだと強調されていたのはアリョーシャです。

アリョーシャの兄、ドミートリイは、死んではいませんでしたが屍者となっていました。
彼は、生きたまま屍者として上書きされたのです。
これは、フランケンシュタイン三原則に違反する行為です。
アリョーシャもまた、自殺のように生きたまま屍者となりました。目は開いていますし動きますが、前日までの彼ではなくなっています。
新型屍者とは、残りの生を死で上書きされた人間だったのです。
その可能性があることは、すでに示唆されていたのに全く思いつきませんでした。
特定の信仰に対してではありませんが冒涜的と感じます。

ザ・ワンの言葉は、フライデーが書き記していきます。
ヴィクター・フランケンシュタインだけでなく、さまざまな秘密結社の協力で生み出されたザ・ワンは、北極で焼身自殺を図るも失敗、肉体は回復をし、屍者の存在を知ります。
ザ・ワンは屍者になれるのは人間だけであり、魂も人間しか持たないとされていることについて屍者化の実験を繰り返しています。
動物に魂がないわけでじゃないだろう、ではなぜ、という点について、「菌株(ストレイン)の活動の結果」と述べます。
人間は菌株と共生しており、言葉はそこに作用、大きな脳を持つ人間ではその菌株が活性化して、その意志を持っているように動かされ、喋らせられていると。
菌株には派閥があり、生者の中では特に活発ということでした。
シナプスや神経細胞、分子の類ですかね。
菌株の言葉が分かるものとして、ザ・ワン、リリス(ハダリー)、解析機関が挙げられています。

数学者、(作り話でなければ)簡単な足し算さえできないのになぜか大きな素数まで言えるサヴァン症候群の人も、この菌株の言葉が直感的に分かりそうな印象があります。
素数や定理、名曲は、はじめから存在するものであり、それらについて、結果だけを先に出せるのに過程が分からないでいる天才は、いきなり取り出せた人、と感じます。天才に夢を見すぎているのかもしれませんけれど。

解析機関というからには、計算、数字の類なんでしょうか。
「この文字列こそが魂なのだ」
もっと複雑なコードですかね。遺伝子にあるたんぱく質の組み合わせや、二進数どころでない数字と文字を組み合わせたプログラムかもしれません。
電気信号のパターンについてはハダリーが話していました。あれを直接デコードできる存在が人間を越え、屍者でもない、人造人間達なのかもしれません。


言葉を聞き、不死化するのは人間ではなく菌株だとザ・ワンは言います。

フライデーは、手記を解読し記憶していました。そしてザ・ワンの言葉でその意味まで知ったようです。
ここで、ワトソンはただのオペレーターとなります。ギリギリ使役者としては上位のようでもありますが、そろそろフライデーの方が優秀に見えてきました。
屍者であるフライデー自身は喋られないけど、言語は理解しており、辞書通信機能付きワープロのようです。

アリョーシャの青い十字架自体が菌株の塊というのはアイテムとして面白いです。中身は阿片だっただけでなく容器にも意味があったのです。
映像栄えしそうなのが、理論オルガンでバッハの曲を弾きつつ変化していく、菌株との対話です。
ワトソンがふらついた所を見ると変性音楽というものなのでしょうか。

モスクワ機関ことイヴァンはどうなっているのでしょうか。名前がついているだけですかね。カラマーゾフ家次男の名前ですけど。
兄弟の内出てこないと思っていたら、機関になっていました。

全死者の復活は、最後の審判で起こるとされていることみたいです。それを実現させようとしたのは、キリスト教をなぞり新世界のアダムになるため、というより、完成前に暴走して破棄されたザ・ワンの伴侶である女性(名前は人間に理解不能、発音不可)を復元させるためだったのでしょう。
嫁のために世界を巻き込むといえば、旧劇場版にてエヴァンゲリオンのゲンドウが引き起こそうとした人類補完計画がそんな感じでした。死んだ(初号機に魂が溶け込んだ?)妻のユイにもう一度会いたい。という。

ヴァン・ヘルシングは幻覚と呼ぶが、バベッジ機関の中でだけは実体かもしれない異様な死者達の光景は、菌株の見ている世界らしいです。人間の感覚では美しくないですが、過去と同じく未来まで同時に見渡す感じは、四次元かそれより高次に生きるもののようです。人間が神や上位存在と想像しているものに近いのかもしれません。以前、オンラインで見た、四次元者の見る空間シミュレーション、がこのようなものでした。閉じ込められて外に出られないという所が、人の頭の中、眠っている時に見える夢という感じがします。夢を見ている時は五感が働き、ありありとそこにあるように感じますから。

青い十字架がハダリーの手によりパンチカードへと変形し、ロンドン塔が壊れました。
青い十字架は、原初の言葉、魂の塊だったそうです。菌株(X)達、大混乱。今の言葉が使えなくなります。
まさにバベルの塔崩壊。
同時に、バベッジ機関や塔の檻に閉じ込められていた物語や空想が現実にをはみ出し、漏れ出したようにも見えます。

これまで株菌ことXとは何か、色々考えたわけですが、ヴァン・ヘルシング教授は、あっさり「言葉」と言いました。
意識を変容させ感染させるという特性にぴったりです。物質化もします。本や活字・ノートがそうです。
伊藤計劃氏がこれまで描いてきたのと同じようなテーマです。
散々言葉が作用をする相手として登場していたXなので、言葉以外が入るだろうと考えましたが、言葉が言葉を理解しないとは限らない、言葉に聞いたわけでもないし、とヘルシングは言います。
その前でたとえに出ていた、辞書は、まさに、言葉を言葉で説明するものです。
聖書の「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。 」を正しいものとして想定しているのでしょうか。実際にはもう少し広い意味での言葉(ロゴス、論理)であるという説もどこかで聞きましたけど。
論理(ロジカル)オルガンもここにかけてあるのでしょうか。そんなオルガン実在するのか不明ですけれど。なお、パンチカードで演奏するピアノなら実際にあります。

言葉で表せない知らないものは考えることが難しいわけですが、よりたくさんの言語を話せ、機械やコンピュータのことが分かる、また自然法則や物理について知っている人物がいたら、その人は、他の人間より多くの世界が見えているのかもしれません。

オルガンが鳴り始めてフライデーが書き留めたのは1と2の羅列でした。01の二進数と同じようなので、Xは基本プログラム言語なのかなと想像します。

ワトソンは、色や言葉、概念が非常に曖昧になっています。見聞き知覚する全てに対してゲシュタルト崩壊のようなことを起こしています。
ワトソンは、自分と、単なる文字列の価値が区別つかなくなっています。
人類は、株菌、言葉、に喋らされ考えさせられているという発想を得たワトソンは、わたしとはなにか、という問いに悩まされます。ザ・ワンやアリョーシャもそうでありました。

ハダリーが名を変えたのがアイリーン・アドラーです。この名は、シャーロック・ホームズシリーズに登場する女性で、ホームズも認める頭の良い人間です。
実は人造人間だった。というのがこの本のアレンジになります。

「勝手にわたし達を名乗り進化を続け走り続けるX」という書き方をされると、シャーロック・ホームズのキャラクターとしてのジョン・ワトソンが、原作のみならずさまざまな媒体で展開され、新たな言動を増やされ、それを何人もの役者が別の姿で演じるという状況に見えます。ワトソンの魂、個性とは…という気持ちになってきます。これは、作中のワトソンとも似ている疑問ではないでしょうか。彼はすでに、フライデーによって書かれた自分と、それを読む人の間に存在する者という意識を持っています。

ハダリーなど、「未来のイブ」登場人物だったはずが、「屍者の帝国」で活躍し、「シャーロック・ホームズ」のアイリーン・アドラーになってしまいました。ずいぶん渡り歩きます。彼女もまた勝手に進化し走らされてます。

ハダリーの「わたしには涙を流す機能もないのよ」は、ドラえもんの旧・鉄人兵団でロボットでありながら人間側についていたミクロスの台詞を彷彿とさせますが、そんなに珍しい発想でもなさそうなので下敷きにしたか不明です。

ワトソンは、十字架・バベルの欠片を頭の中に隠すため、死ではなくバベルを上書きしました。これまでの彼としては自殺に近いです。新型の屍者を殺してしまったことに後悔している、というのも動機のひとつでしょうか。
フライデーの肩に破片を入れたままだったら、いずれ返却された時持ち主に発見されていたのでしょうか。
Q部門にとられるくらいならワトソンを消す命令を受けていたハダリー。そんなに危険なのですかワトソン。
ただいるだけ、流れに乗ったら事件が解決していたわけの分からない存在、ということですが、巻き込まれ型の主人公にして、一人称小説の主観担当、がこういう感じですね。これまでの物語で唯一魂を持つことが確定していたのがワトソンです。
リアルの人間でいうと、「自分」「わたし」だけがワトソンです。

その後のワトソンは、ホームズと一緒に探偵業をしているようです。ということは、喋り動いていますから屍者とは違います。しかし、以前の古い彼ではなくなってしまいました。彼の魂はどうなってしまったのでしょうか。
別の次元、この世界の過去に存在したコナン・ドイルの書くワトソンと化した、つまり、記述され、自立し、外部脳で動き、生きているように見えるキャラクターとして完成し、派生していく存在に変わったのでしょうか。
元の彼は、この物語の中では消え、終わってしまったのかもしれません。ページがつきましたし。

つまり、ワトソン視点で記述されているからワトソンには魂がある、と、読者やワトソンは、著者によって思わされていた。

その続きは、フライデーが「僕」である主観によって書かれ、ワトソンが「わたし」である章には戻りません。
現に、魂や言葉を持たないとされていたフライデーは、ワトソンがバベルを上書きするずっと前から自我を持っていたのです。
ここで、「わたし」を持つ者は、すでに二人以上同時に存在していたことが確定しています。
ところが、文字媒体でそれを表現するには、○○視点、○○の章、それらを交互にするなどしなければ大変読みにくいものとなります。
同じ時間帯に裏で何をし、考えていたのか。映像なら二分割画面で同時に現せるのですが、文章だと相乗りが困難です。
この辺に、唯物論や唯我論を感じます。紙にインクが乗る印刷の都合上、一人しか「わたし」じゃないんだもの、という。

「ぼくら」という複数一人称小説というのは存在します。双子の男の子の話ですが、あれはどちらがどちらか分からないだけで、それを「大きなノート」に清書するのは、二人のうち一人が担当する当番制です。やはり、二人が魂を持っていても記述できるのは一人なんですね。

アゴタ・クリストフ「悪童日記」の感想はこちら

人に思考させ行動させるXは、物語の作者ということにもなりそうです。記述者によりワトソンは似て非なる別物になるのですから。
今回、フライデーから見えない地平彼へ旅立ったワトソンの新天地は楽園か地獄か天国か不明ということになっています。
言葉や文字列は感染するのですから、作者だけでなく、その受け手、読者の脳、主観こそが次の居場所なのかもしれません。
意識ある者が生き生きと感じるワトソンが彼の魂だとして、未来にまで存在する全てのワトソンを描いた作品を見てしまうワトソンがいたらどう思うでしょう。「わたし」って何…とますます混乱しそうでもあります。

冒頭の英文は、ラストにあるフライデーの独白に似ています。全文そうかは分かりませんが、ホームズの原作で、ホームズがワトソンに送った言葉のようです。
「Good old watson」で、「ワトソンは相変わらずだね」という意味合いのようですが、本書でフライデーが書いた同文は、「昔の彼」、と直訳に近いルビになっています。原作と同文を用いながら、それとは違う、文字通りの意味を与えているのですね。良い古いワトソン。

各国の機関は、今でいうスーパーコンピュータでしょうか。なにやら、章の間で作中リブート、再起動しています。機関も働いているようです。
これは、計劃氏の描きたかった物語は何であるか、円城氏が必死に考えまくり、参考文献とあわせて組み立てていったことでもあるようにみえます。ワトソン(計劃)は去ってしまったが、それをフライデー(円城)が語り継ぐ。それが出来ていますか。という答えのない問いのようです。

フライデーは、ワトソンによって語られることにより、自我を得ました。言葉で作られその中で自らも言葉を持つようになる、というのは、この作品のイメージに合っています。

ところで、屍者をうまいこと組み合わせて巨大な機関にすることは可能なのでしょうか。絵面がグロテスクですが、インターネットは大体そんな感じだと思います。一つの問題について、複数のコンピュータが持つ余力を使って解析するプロジェクトもありますし、ゾンビ状態のコンピュータを組み合わせてウィルス感染やクラッキングの踏み台にすることが実際に行われています。別の本で読んだ所、アメリカの諜報でも似たようなことをやっているみたいです。
屍者の帝国は、それを悪用する人の方が早く築けそうな気がします。特に、情報戦で。

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テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

  1. 2015/11/12(木) 23:01:09|
  2. 読書感想文(小説)

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