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谷崎潤一郎「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」感想

陰翳礼讃 (中公文庫)陰翳礼讃 (中公文庫)
(1995/09/18)
谷崎 潤一郎

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【あらすじ・概要】
谷崎による昭和5年から23年にかけてのエッセイ。様々な雑誌媒体に載ったもの。
表題作ほか全6章。連続性はないし、時代もバラバラ。
「陰翳礼讃」では、日本人独特の影や闇に対する美意識について考察している。
その他、私にも猫のしっぽがほしい、偽名にて三等船室で旅をするのが好きだ、日本古文には珍しい女のサディストの例を紹介しよう、厠、能、ものぐさについて…など様々な事について愉快な考え方をするおじさんの文章。
ハイカラな外来語が多く、かなり柔らかい文体。気軽に読める。

【感想】
開始からいきなり面白いです。
昭和8年の時点で、懐古・純和風趣味の人が居たのですね。西洋の文化や技術が入ってきてから大分経ってますから、わざと意識してやらないと昔ながらの日本風にならないようです。
彼らを悩ませるのは、ストーブや電気ランプ、瓦斯(ガス)、水道、電池の存在とその配置です。
和風家屋にこれらをどう合わせるかが考え所で、中には、屏風の後ろの電気コード類を這わせてみたり、押し入れにスイッチを隠したりする人もいたそうです。

それに対し谷崎さんの考えは大まかに言ってこうでした。
「我々は、とっくに電燈見慣れてるんだから、いっそシェードつけて球丸出しの方が素朴じゃないか?」
たしかに。今でこそ、裸電球って質素で昭和、というイメージがありますけれども、その時に発想できてたのは進んでますね。現代でも、お洒落なインテリアとしてあえてやってるお家や飲食店もあるでしょう。

西洋の陶器や壁や照明は、なにもかも明るくて白過ぎるのだと言います。ついでにいうと、精神的にも物理的にも暑苦しい。(帝国ホテルの間接照明はギリおkでも、夏はもうちょい暗くて良い)
日本人は、暗い所に住むことを余儀なくされたせいか、その中に美や畏れなど独特なものを見出したのではないか、闇の中でこそ魅力的に見える文化を産んだのではないか、そのような事が書いてありました。
その例として、女性のお歯黒や、能、人形文楽、床の間等が挙げられています。

日本人は、どんなに白粉を塗ったところで白人女性の白さにはなりません。しかし、闇の中でほのかな明かりに照らされ歯を黒く塗った女性は、どんなものよりも真っ白な肌に見えるのです。(あくまでも谷崎の自説だと思う)

能の舞台は、歌舞伎に比べて暗いそうなのですが、昔の生活空間や武将の時代は、本当にこの程度の明度しかなかったんじゃないかなぁ、と過去に想いを馳せやすいようです。
そんな中、若い男子役者の唇が、そこらの紅引いた女性より蠱惑的であることについて考えを巡らせる著者。少年の頬の赤さが目立って見られるのは経験上、緑系の服を着ている時で、色白の子より、肌の色が黒めである方がその傾向が強まる、という旨述べています。
その「経験」が偏ってる気もしますけど、緑と赤は補色ですから、観察眼は確かのようです。

以前から、先生の「NTRれ(寝とられ)、女性の足フェチ、ドM」などの属性は聞き及んでいたのですが、少年や武将にも色気を感じるとなれば、いよいよ性のオールラウンダーですね。
陰翳について言えば、

【歌舞伎劇の美を亡ぼすものは、無用に過剰なる照明にあると思った。】

そうです。
昔の名女形だろうと、近代照明にさらせば男性的なトゲトゲしい線が強調されてしまう、適度な暗さがそれを隠してくれてたんだろうからと。
実際には、煌々とした光の下でも、上手で美しく色気のある女形はいそうですけどね。

文楽人形には、顔と手しかありません。体は衣装に包まれ中身は心棒です。これこそが、真実の女に近いのではないか、と、さも当たり前の事であるかのように書かれる谷崎先生。
たしかに暗いと手と顔くらいしか見えず他は闇にまぎれているのですから、見えないかもしれません。だからと言って、女には胴体がない、ほどんど肉体を持たない存在、ほの白い顔さえあれば良い、というような特殊な発想と表現はなかなか出てこないですよ。
どこか猟奇的で欠損フリークス、人形愛好者の匂いがします。
ちなみに、この流れで、自分の母親について想い出して居る部分がありました。
顔と手、足以外の記憶はない、と。
何気に「足」を追加している所が、さすがだと思いました。

谷崎さんは、西洋文化を拒絶しているわけではありません。衛生面、実用性を評価しています。
トイレの場合、タンク、タイル、陶器の便器、というのが西洋的であるわけですが、一方、「風雅」、「花鳥風月」から縁が切れてしまうことを嘆いています。
ですから、自分好みの陶器を作ってそれを水洗と組み合わせたいんだけど、手間がかかりすぎるからやらなかったそうです。
要するに、西洋技術を取り入れるのは構わない、しかし、なぜ日本人の気質や生活様式に合わせて改良しないんだろう、と思っているわけです。
もし、日本が独自に発明していたら、もっと使いやすく感覚に合ったものになっていただろうか、そう考える内に、ひょっとして我々は、西洋人とは視点が違うからして、そもそもの光線や電気、原子というもののあり方や機能も、教えられてきた物とは違うのではないか?という想像に発展します。学問に詳しくないと、断ってはいますけれど、「谷崎の妄想で宇宙の法則が乱れる!」感が面白かったですし、イメージは自由ですからね。完全に間違ってるとも言い切れないものがあります。

床の間についての文章も良かったです。先人は天才だと。
飾り気のない部屋を、新鮮な壁と木材を持って一部凹ましただけで、光が影を作り、その一画だけに幽玄さ、神秘が生まれるのです。不気味なくらい静かに感ぜられ、そこらの壁に掛かってたらたいしたことない掛け軸や絵でも、特別に見えます。
寺の宝物と言われる掛け軸などは、大抵とても暗い所に掛けられているから、ほとんど見分けもつかないのに、さぞすごいのだろうと思いつつ眺めると、不鮮明さが丁度良く、立派に感ぜられる。…割りと、絵や書の作者と寺に失礼な事言ってるわけですが、「陰翳の秘密」を冗談めかしつつ本気で書いてるようで、好きです。「そう言われたら分かるわ」、という説明の上手さがあります。
床の間に光をあてたら、そこは、ただの空白になります。

「陰翳礼賛」の次章「懶惰の説」では、ものぐさ、怠け者について書いています。
ここで笑った文章は

【ジャン・ジャック・ルーソーの思想は、幾分老荘のそれに相通うところがあると云われるが、私は、実は、それこそ怠け者のためにまだ「エミール」一冊すら読んだことがないので何んとも言えない】

です。
他にも、情報源(ソース)のいい加減な箇所が多くて面白いです。

【かつて故芥川君か又聞きしたのだが】【志賀君が故芥川龍之介から聞いたと云って話された話に、】

又聞きの又聞き。もう噂レベルですよ。ただ、そこに登場するのが超有名人な所がすごいですけど。

「恋愛および色情について」という章は、予想に反して足フェチNTR方面は抑えてましたけど、SM絡みは嬉々として古文を引用していました。
女性が男の人をいたぶっている文章を長々と。

日本と西洋の女性を比較する中で、なかなかその言葉は出てこないよ、と感心したのが以下の部分です。

【結局彼女等(※日本人女性)の美しさは和服の着こなしや化粧の技巧ででっち上げたもので、弱々しい綺麗さはあるにしても、真に男子をその前に跪かせるような崇高な美の感じはない。】

咄嗟に「跪かせる」という単語の出るあたりが素敵。

その少し前に【清少納言が宮廷においてしばしば男子をヘコました話は枕草子を見ても分かるが】とありました。
「ヘコます」って今と同じ意味で使ってたんでしょうか。

画家の描く女は全部顔が一緒。髪型や服装、職業が違うだけ。理想の女を描いてる。そしてさらにそれらに共通の典型的な美人像があったのだろう。描き分け技術がなかったのではなく、個人的色彩を消すのがたしなみと信じてんじゃないか。と書かれてます。
概ね、現在のハンコ絵と揶揄され、または自称する(?)萌え絵師と似たようなものだと思ってよいのでしょうか。

どの章でも、西洋、特に白人に対する憧れと劣等感と優越感と嫌悪がないまぜになっているようで、こういうのをまさに白人コンプレックスというのでしょうね。
コンプ~は、何も、劣等感だけを指す言葉ではないので、この複雑な感情の渦巻きっぷり、どうしてもこだわっちゃって無視できない対象感が、まさにコンプレックスだなと思います。
黄色人種じゃあの白さには到底かなわない…としょげてるかと思いきや、白人は見るものであって触るものじゃないんだよ。女でもうぶ毛ぼうぼうだし、肌はぶよぶよで手ごたえないし!みたいなディスりもしてます。
肌理の細かさなら日本人の方が勝ってるよと。

西洋には、当時「色気」に該当する概念がなかったようです。一応「イット」という言葉はあるんだけど、日本のそれとは大分違うニュアンスのようです。全裸の白人女性に見慣れたら、それは人を挑発しなくなるだろう、ということでした。
明るくて健康的な素っ裸は、色気ないですもんね。「セクシー」だと置き換えできないんでしょう。

「客ぎらい」という項目では、当時60歳を過ぎていた谷崎が、猫のしっぽを生やしたいなどと世迷い事を言っています。
というのも、来客対応が面倒なので、机に向かって背を向けたまま、尻尾で相槌を打ちたいのです。

【私は恰も自分が尻尾を生やしているかの如く想像し、尻がむず痒くなるのである。そして、「はい」とか「ふん」とか云う代わりに、想像の尻尾を振り、それだけで済まして置くこともある。猫の尻尾と違って想像の尻尾は相手の人に見て貰えないのが残念であるが】

大変アホですが、知的ユーモアがある、とも感じます。自分の厳ついルックスと年齢を考慮しつつ、あえてのギャップで笑いを取ろうと言う算段でしょうか。

彼は、交際嫌いになってから、無口になったようです。
人と関わらなくなったきっかけは、田舎臭い事が嫌い→だから書生臭いことも嫌い→文学論や芸術論を戦わせる事が滅多にないし、文学者は朋党を組む必要がなく、なるべく孤立している方が良いと思っていたから、だそうです。その信念は、その後も変わりませんでした。
学生時代までは、話し上手だった、とあり、別に別に口下手で疎外されてぼっちになったのではないようです。
積極的に孤独を選んだのだ、という主張なんでしょうね。

ところが、喋る機能を使わなくなったら、本当に衰えてしまい、言葉が湧いてこなくなってしまったのでした。
だから、日常生活で何が一番つらいかって言ったら、訪客の相手だよ、ということで、先ほどの猫の尻尾欲しい、という願望に繋がるのです。
猫しっぽケモノ化志望の男性(63)。

次が、「旅についてのいろいろ」。
このあたりを含め、現代人でもあまり使わないんじゃないか、という外来語をよく使用してます。
一般に浸透していたのではなく、直接交流のあった外国人から、あるいは、海外文学やその翻訳本で学んだ言葉なのでしょうか。「サーヴィス」は良いとして、

【その家をスポイルすることはない。】

という用法はハイレベル(?)です。「スポイル」は、駄目にする、台無しにする、というような意味らしく、ならそう書いた方が早そうなものですが、谷崎的にはしっくりくる言い回しだったのでしょう。
メモっておいた、その他のカタカナ語を羅列します。

【ゴーストップの信号】【ドライヴウェー】【レフレクター】【(「哲学者の石」と書いて)フィロソフィアースストーン】【アルケミスト】【胴体のスタッフを成しているのは】【ホリー・ウッドのキネマ・スター】【甲子園のスタンド】【スポーツ】【スピードアップ】【ドーア(ドアの事)】【ビルディングの冷房装置でもヤラレる】【アット・ホーム】【ノンストップ】
中には、まだ、日本語版の語彙がなかった物もあるのかもしれません。

「スピード旅行」の逆として、できるだけ長い時間をかけて狭い範囲を旅行するのはどうだろうか、と提案してます。
小説家とバレて先生扱いされるのはキマリが悪いので偽名で旅行をしており、そういう意味においても三等船室が好きだったようです。谷崎を知らない人が、旅の良い道連れになってくれることがあるんですね。
偶然乗り合わせた他人の話を聞くのもよいもので、小説家に限らず、政治家、実業家、宗教家にもおすすめとのことです。

谷崎さんご自身は、電車でもよく眠れる派ですが、停車の度に起きてしまう人もおり、あるいは反対に、寝台列車の揺れに慣れてしまって癖がつき、自宅ベッドの下にモーターを据え付けてしまう人まで現れました。
…最後のエピソードは眉唾ものですね。情報元がぁゃιぃ著者ですから、誰かの冗談を半分真に受けて書いたか、それとも、ギャグとして書いているのか。単なる実話だったらごめんなさい。

最終章「厠についてのいろいろ」は、感想を省略いたします。
ひとつお伝えしたいのは、「ご飯を食べながら読まないように」。
先生、もう一つ、厄介な性癖持ってらっしゃる気がします。

楽しい本でした。

テーマ:こんな本を読んだ - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/06/09(土) 17:47:42|
  2. 読書感想文(小説)

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