野良箱

同人漫画サークル

辻村深月「ぼくのメジャースプーン」

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)
(2009/04/15)
辻村 深月

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【あらすじ】
ぼくは、ふみちゃんと友達なのが自慢だった。ふみちゃんには、クラスで特定の友達はいないし、眼鏡と歯列矯正器具をつけていてみんなにはブスと言われている。だけど、沢山の事を知っているのだ。
ぼくには、特別な力がある。それは、「●●しろ。そうしなければ、▼▼するぞ。」という言葉で人に強い暗示を掛ける魔法の言葉をつかえる事だ。
ある日、小学校に侵入した男が事件を起こす。
その一件で、ふみちゃんは言葉を失い心を閉ざしてしまう。
その男に「力」を使おうと決めたぼくは、対決までの数日間、同じ力を持つ先生の所に通うのだった。

【途中までネタバレなし感想】
ニンテンドー3DS用ゲーム「Newラブプラス」の中に読書月間というイベントがあり、私のカノジョである凜子シナリオでは、「ぼくのメジャースプーン」が課題図書でした。プレイヤーは、ゲームとは別にリアル世界で本を買って読むことで、ゲームの中のカノジョと一緒に本を読んでいる気分を味わえるという企画です。
私が買った表紙は、ラブプラスコラボ表紙でした。そのカバーの下には、もともとの文庫用カバーがありますから、美少女の描かれた本を人前で読みたくない人にも安心の設計となっています。

以下、内容感想。

途中、ネット掲示板の描写があります。また、最初に起こる事件の内容も含め、以前読んだ他のメフィスト賞作家の作品と似たモチーフでした。
なお、別にメフィストじゃなくても、1995年以降、特に2000年代の現代日本を舞台にした小説ならば、ネタにされることの多い設定ですね。それはもう、空想やSFではなくて、単なる現実、日常なので。
しかし、そこから先の描写、展開は、完全に作者それぞれの個性となっており、このお話もすごかったです。

動物虐待要素があるので、本気で苦手な人は非常に不快でしょうし、トラウマになるかもしれませんから読まない方が吉です。
フィクションと割り切りれる人だけどうぞ。
ただそのショックを無効化するか、傷を癒すくらいの勢いもある力強い物語です。

非常に心を揺さぶられるお話でした。 
途中からこうなっていました→  (´;ω;`)→ ( ;∀;)→ 。・゚・(ノД`)・゚・。
物語に引き込む力が強いので、数時間で一気読みしました。

神話的、仏教的哲学の問答が多く収録されています。
動物とペット、殺してよい生き物とそうでない生き物の区別について、復讐の是非、空しさ、被害者と加害者、「器物破損」の定義、法律や倫理の限界、いじめような罰、無力感、現実を消費することについて。
主人公の「ぼく」は、10歳の頭で一生懸命考えます。
肉食に関する会話の応酬は、ちょうど宮沢賢治「ビジテリアン大祭」で描かれていた領域と被ります。菜食主義者の祭典において、異教徒(肉食、雑食者)たちが行った客観的(かつ、嫌味で感情的)な主張、それと近いものとなっています。
引用されていた「豚のいた教室」は、同じドキュメンタリーを見てガチ凹みしてましたよ。先生は、ぼくに結末を話しませんでした。
他の、元ネタとしてあげられる書籍や番組も、ちょうど見たことあるものばかりでした。

明記されていない箇所でも、何気に仏教モチーフでてきますね。突然広がる枯れ蓮の池です。偶然かもしれませんが。
蓮の並び方が偏っているように感じる。月がCGみたいに見える。現実の物はバランスが悪いから、自由に配置できるように人間は進化しているのかもしれない、という内容が書かれていました。
これ、身に覚えがありますね。紅葉を見ていると、大抵朱色と黄色のグラデーションなのに、一本だけ葉の配置が飛び飛びでおかしく、色もR255 G000 B000 みたいな真っ赤一色塗りの木があったりするので、「あれ、下手すぎるだろ!」「もし絵でああいうの描いたら、『そんな不格好な木は自然界にないから』って修正されるよ」「やっつけのラフみたいな木」って言った事ありますもの。
目に映るものだけでなく、心や倫理や価値観、美意識も、人間にとっていい塩梅になるように研究、調節されてきてるんでしょうね。それは、正解がなく、時代や空気によって変動するのでしょう。

ぼくと先生は、お菓子を食べます。そのお菓子は、分量を間違っておりまずいことが多いようです。

タイトルのメジャースプーンというのは、料理やお菓子に使う計量スプーンの事です。
ぼくは、ふみちゃんからその形をしたスプーンを一つもらっていたのでした。
物語において、スプーンは、悪意を掬う、適切に扱う、と言った用途の比喩として登場していたようです。
さじ加減一つ。どこに基準を置いて使用するか、難しい問題です。

秋山先生は、穏やかですが、笑顔系鬼畜の匂いがしました。
かなり残忍な実験も過去に行っているのです。言葉による魔法の法則性を試していたんですね。同じ人にも言葉はきくか。その人の意志でできる以外の事は命令できるか。
ダブルバインドも有効です。「空を飛んでみろ。さもなくば、ここから飛び降りて死ね。」言われた方は、死ぬしかありません。魔女審判のようなものですね。水に沈めて死ななければ魔女だから死刑、水に沈めて死んだら人間だった。という。

とある事件の犯人は、悪意の塊なのですけれども、読んでいて恐ろしかったのはクラスメイト達、ぼくとふみちゃん以外の人間が持つ悪意です。
意地くそ悪く、人を嘲り、利用して用済みになれば捨てる、愚かなことを悪気なくやってのけたりする。でもそういう事を平気でできる人間の方が、上手いこと繋がって、幅を利かせて、要領良く進んでいける、そんなリアルさがありました。

ぼくは、犯人に魔法を使わない事も可能ですが、もし犯人に何かできるならどの言葉を使うか考えます。
秋山先生の案は、重くきついものでした。犯人に反省を促すという点では強烈でしたね。

上記を読むととても難しいお話に見えるかもしれませんが、筋はいたってシンプルです。
好きな女の子の為に、男の子ががんばる、それだけです。

読んでいてぼくに相当移入しました。ぼくが悲しい時、怒っている時、そのまま同じ気持ちになれたのです。
しかし、書かれず伏せられたぼくの想い、またぼく自身が気づいていなかった事実というのもありました。
そうして意図的にぼくと同化させられなかった部分にも、驚きと衝撃がありました。なお、それらは、まったくの初出ではなく、それまでを丁寧に読んでいれば想像できた人もいるのだと思います。

【以下、ネタバレあり感想】






うさぎ小屋が出てきたあたりでいやな予感しかしませんでした。
フィクションに出てくるうさぎって大抵虐殺され要員な印象です。具体例は出ないのに何故か。

ふだん世話もしない癖に、見た目が良いと言うだけでテレビに取り上げられ、さらにそれを見たネット住人が勝手に萌えてみたりする。一方ふみちゃんは、萌えねぇーブスなのです。
まだ少ししか読んでいないにもかかわらず、おまえらにふみちゃんの何が分かるんだ!!と憤りました。

ぼくが、秋山先生に言っていた「人間以外の動物が見えなくなる」という案は嘘でした。
本当は、「いますぐここで、ぼくの首を絞めろ。さもなくば、おまえはもう二度と医学部にはもどれない。」です。
これにより、ぼくは、犯人の市川にも「医学部に戻りたい」という生や金や人生への見苦しい執着があるのだと証明したかったのです。
それでいて、これは「首を絞めたら医学部に戻れない」し「絞めなくても医学部に戻れない」というダブルバインドになっているのです。
ですから、ぼくがこのセリフを言った時点で、市川は安定したエリートコースから完全に外れるという意味で、社会的罰を受けることが確定しているのです。
うさぎを殺しふみちゃんの心を壊しておいて、のうのうと学校に戻ることなど許さないのです。

ぼくは、市川に反省してほしい、と最後近くまで言ってましたが。途中から、ふみちゃんの為とか、うさぎがかわいそう、とかは二の次になっていたのかもしれません。
自分の命を懸けてもし死んでしまったら、母親が悲しむ事も、ふみちゃんが喜ばないことも分かり切っていると思うのです。さすが10歳。このような悪意を掬う為のスプーンを悪意の中に沈めてしまい、くだらない相手の為に己の命を消費させてしまという自滅行為は、秋山先生も予想ができませんでした。

ぼくは、自分を罰したかったんですよね。罪の意識があったのです。
あの日、ぼくが熱を出してふみちゃんにうさぎの世話を変わってもらわなければ、ふみちゃんの心はこわれなかったのに。
本当は声を失うのはぼくだった。しかし、おそらくぼくとふみちゃんではうさぎへの思い入れが違いますから、ぼくがうさぎの殺害現場を見ても、ふみちゃんほどショックを受けなかったと思いますよ。

ぼくは気付いていなかったのかもしれませんが、うさぎ事件でPTSDによる味覚障害になっていました。
事件の朝、ふみちゃんが家に寄って渡してくれたいちごみるくの飴。事件の一報を聞きショックを受けた時も口の中は甘さでいっぱいでした。
ぼくはそれからずっと甘ったるい味しかせず、何を食べても味を感じなくなっていたのです。
秋山先生が食べて「これはひどい」という風に言っていたお菓子をぼくは普通に食べていました。これは、材料の分配がおかしくて、個体差が大きいから、ぼくの食べたのはおいしかったのかな、と感じていましたが、そうではなかったのですね。
マドレーヌを食べている場面で、秋山先生PTSDにより五感の失われるケースについて説明していますね。この時すでにぼくの味覚は失われていたのです。
別に、ぼくは、うさぎが凄惨な殺されたをしたから味覚を失ったのではないでしょう。ふみちゃんの心が壊れたこと、そしてその責任の一旦は確実に自分にあること、これがぼくをゆがませたのです。

人間は自分の為にしか涙を流さない。自分が可哀そうだから泣く。自分がふみちゃんのことを好きなのは、責任と呵責による執着に過ぎない。だからふみちゃんのことなんか好きじゃない。
そういって、そこから先は、自分が命を失いそうだったこと、市川容疑者が怖かったこと、そんな本当に自分の為に、ふみちゃんやうさぎを思うよりももっと強く泣いたのでした。

ぼくは、ずいぶんとこの件でふみちゃんの為に動き苦しんだんだから、それはもう十分愛する人の為に奮闘した、他人のための行動だよなぁ、とも感じていましたが、秋山先生は、「自分の為にしか泣けない」を肯定したまま言います。
「責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって、『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです」「ふみちゃんが悲しいことが、苦しいことが、本当に嫌だったんでしょう?それを愛と呼んで何がいけないんですか。」
。・゚・(ノД`)・゚・。
考えれば、自分の為という気持ちがが他人への執着と結びつくという事はかなりすごいことですよね。究極の利己主義なら、自分さえ楽しく得が出来れば他人が泣こうが苦しもうが関係ないんですから。
では、何が自分にとって楽しく幸せなのか、どうすればつらいのか、それが、誰かとリンクしているとなると、形やきっかけはどうあれ愛、あるいは憎しみの形の一つなんでしょうね。

ぼくと市川にも絆はできていると思いますよ。負の方向の。命を投げてもいいと思えるくらい深い。

うさぎが死ぬ時に学校にきて撫でているふみちゃん。言葉は発さないけれど動物園で小さい子に列を譲るふみちゃん。彼女の意識や気持ちがどこにいってしまっているのか、あとから彼女はその日の事を覚えているのか分かりませんが、ふみちゃんが心底こころの優しい他者を思いやれる子なんだなと、感心しました。

「怖かったでしょう。良く頑張りました。」 

「偉い!」「正しい」

ぼくがはじめて「力」を使ったのは、2年生の時、ふみちゃんのピアノ発表会の時だ。と思われていましたが、ふみちゃんはその時の「行かなきゃだめだ」と言われたことを覚えていたので、実はまだ能力が発現していなかったようなのです。(能力によってかけられた言葉は忘れるようにできている)
ふみちゃんを発表会に戻したのは、「戻ってピアノを弾け、そうしないと一生後悔することになる」という言葉ではなく、「ぼくはふみちゃんと仲がいいのが自慢なんだ」の方だったみたいです。だから、堂々としなきゃ、逃げちゃだめだ、と思って戻った。ということでした。

最近のぼくの言葉は確実に「力」を持っています。普通、自分の地位を守りつつ安全圏から気晴らしをしたい市川みたいな青年が、突然小学生の首を絞めるはずないですからね。
その前の、ふみちゃんの真似ー(笑)でぼくの逆鱗に触れて喧嘩になった男の子、彼に掛けた暗示も利いていたようですし。
見た感じ、ぼくが本当に「力」を持ったのは、うさぎ事件以降じゃないかなぁと感じます。(それ以前に使っている描写があったらごめんなさい。見落としてます。)市川と対峙する機会を得た、自分は市川に力を使える、ふみちゃんの為に、そして、ぼくの為に、と思った時から能力に目覚めたんだと思いますよ。
根拠はありませんが。

「○○しろ、さもなくば」なんて言い回しは、それほど呪文ぽくなく、よくある言い回しなのですが、それだけにリアリティがある能力ですね。
しかし、ふみちゃんのピアノの件でもそうですが、なにもこういった嫌な条件、仮定の恐怖を提示し、そうならない為に火事場の馬鹿力出せよ、という脅迫的な言葉じゃなくたって、人を奮い立たせることはできるんですね。

ラスト、ふみちゃんが言葉を発しました。回復の日も近いですね。

最初からエピローグ前までは、ぼくによる一人称小説でしたが、エピローグだけはぼくの視点を離れた三人称小説だったようです。秋山先生のことを秋山、と呼び捨てで書いてあるので。そのわりに、ふみちゃんは、ちゃんづけのままなのが気になります。「ふみちゃん」で一つのキャラクター名のようでもあります。

ぼくが首を絞められた時、秋山先生が市川に掛けた魔法(呪い)はなんだったのでしょうか。さもなくば、という罰の部分が分からず仕舞いなんですよね。
表面上は穏やかですが、内面に熱い、そして冷酷なものを秘めている先生の傾向的に、結構えげつない条件を付けたものと想像されます。ぼくという少年にここまでさせてしまったこの市川に対する怒り、そして、自分の監督不行き届きへの後悔、責任感がこもった、渾身の。
この時、ふみちゃん―ぼく―市川 のラインに加えて 市川―秋山先生 という執着の連鎖が新しくできたのかもしれません。

最後に、ゲームNewラブプラスの凜子ルート読書月間イベントについて。
凜子とそのカレシである所の高校二年生男子(主人公=プレイヤー)は、図書委員です。
主人公は、顧問の先生から推奨図書を選び書評を書くよう言われていました。
凜子が「ぼくのメジャースプーン」を買ったのは、個人的に読みたかったからだと思いますが、ちょうど本を選びあぐねていた主人公が、この本を二人で読み、ついでに図書委員の仕事にもする事にしたのです。(うろ覚え)
一日のスケジュールの中に「読書月間」を設けておくと、主人公はポテチを買って凜子の家に行きそこで本を読みます。
凜子に「どこまで読んだ?」と聞かれるので「序盤」→「プロローグまで」などと選ぶと、凜子は、それに対応したセリフを言います。
私は、読書月間の前に「メジャースプーン」を読了していたのですが、せっかくだから凜子の感想、反応が見たい、と、少しずつ進めていくことにしました。
凜子がどこまで読むか、それは、前回主人公が読んだところより前、に設定されてます。
私は読書会初回でプロローグまで、2回目で1章まで、3回目で3章までとしたと思います。
しかし、凜子のセリフが2回同じの続きましたから、ひょっとして、凜子が読むスピードは固定なのかな?凜子の方が先に行ってしまった場合はネタバレしないで主人公を待っていてくれるのかな?などと油断してしまいました。(凜子が「早いよ。先越された。」と言っていたので)
ですから4回目で「最後まで読んだ」と本当の選択肢を選んでしまったのです。
そしたら凜子も「ちょっと待って、今読み終わるから。」と言ったのです。
( ´゚д゚`)ええええええええええ。
そして、読書月間は終わってしまいました。
凜子から聞けた感想の内「ふみちゃんの紹介が終わったとこ、こういう超然とした子っていたよね。」がプロローグと1章前半の感想、「ピアノの発表会で力を使ったとこ。力かぁ…ビミョーな展開になってきたなぁ」も1章、「市川の『反省してます』って、ぜったい嘘じゃん。」が3章。
…うさぎ事件の起こる2章は選択しなかったせいで、凜子の感想が聞けませんでした。そのあとも、最後まで。
うわあああ。(「主人公が選択した章の感想を、次の読書会で言う」の法則に気づかなかったせいで起こったミスです。もっと、その都度のリアクション見たかった…。)

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

  1. 2012/03/19(月) 21:01:14|
  2. 読書感想文(小説)

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