野良箱

同人漫画サークル

大泉洋・原田知世主演 映画「しあわせのパン」感想

【あらすじ】
「水縞くん」と「りえさん」の夫婦は、東京を離れ、北海道で喫茶店「マーニ」を営んでいる。
おいしいパンと温かい飲み物、食事が、人々の心を解きほぐしていく。
季節は、夏、秋、冬、そして春へと巡る。

【途中までネタバレなし感想】
レイトショーに遅刻しまして、オープニングの前を見逃しました。
りえさんがストレスでぎりぎりになったあたりで北海道に行ったようなので、何らかの心の病になったのですかね。
時々わけもなく悲しくなるりえさんですが、そんなりえさんが空を見上げる横顔が少年少女のようにイノセントでした。

お店の2階が宿泊施設になってるんですね。

お店には個性的な常連がおり、近所には、野菜や米、肉を生産している農家がいます。
全体的に宮沢賢治・ジブリ的な、幾分童話寄りに誇張してある世界のように見えました。
あんなにあんなな農業従事者夫婦(広川さん)や郵便屋さんは、現実にはいないと思います。
月も絵本の中の月をCGで描いたような雰囲気でした。

オーガニック・スローライフ系生活情報誌に載っていそうな、服装、家具、内装、小物でした。
素朴で抑えた色合いの。
ナレーションやセリフの入れ方も、そういった雑誌のコピーや編集、記事の文体に近いものがあります。

予告を見た人から「結構、話、重そうだったよ?暗い…」と聞いていたので、某「嫁が10年間にわたってうつ病になる映画」くらいのきつさかなぁと覚悟して行きました。
結果、もっと柔らかく明るいトーンのお話でした。
部分的には、その某映画よりも重い要素があったくらいですが、なんとかなりそうな気がしていて平気でした。

泣かないようこらえていたので喉の奥が締まって痛くなりました。そういうお話です。悲しいのではなく、愛だなぁとか、人生だわ…とかそういうような漠然とした感動でそういうことになりました。

完全にふわふわした雰囲気映画なのではなく、スポットの当たるキャラクターが毎回変わる短編集、オムニバスのような作りです。それぞれの区切りで、一旦ストーリーは終わるので、ちゃんとしています。
だから、全編ほのぼの癒しまったりというわけではありません。谷や波乱がある分、カタルシスがあります。

作中登場する「月とマーニ」がどういう絵本なのか分かってないのですけれど、アバンタイトルで紹介されていたのでしょうか?

オープニングからして手フェチ向けムービーな所があります。
別に手が撮りたいわけじゃなくて、料理やパンを見せたいんでしょうけど。結果として、手の映る時間が長くなっています。

固定カメラでピタッと同じ距離を保って、たとえば、真上からとか、離れたところからとか、真正面からとか、そういう撮り方の場面が多いです。うるさくなくて良いと思います。

最初の「夏の客」が酔っぱらったり叫んだりする人なのですが、劇場で聴くと音量大きいのでご注意を。
キンキンします。声質も言動も刺さります。
少女マンガ原作の実写ドラマや、ギャルゲー的な展開をします。オタではなく完全にリア充寄りの。
この空気は、「夏」の間だけです。

【以下、ネタバレあり感想】







りえさんが都会で疲れてしまった理由はOP前を見逃しているので分かってません。

ガラス工房の地獄耳の人は、人間を観察する目がすごいから、頼まれる前に用意できるのかと思っていましたけども、シーサーの件を見るにつけ、童話的超能力を持つか、あるいは、作話上それができることになってる人、なんでしょうか。

夏の客は、「バイク乗りのときお君(?)」と「沖縄行こうと約束した彼氏に振られて北海道に来た女性」でした。
年齢もルックスもお似合いだからくっつくんだろうな、と見てました。
二人乗りで東京に向かった彼らですが、まだ、付き合うとかいう段階ではなく、過去との決別に踏ん切りがついた同士(お互いがそれを促した)、と言う状態なのかもしれません。
ときお君って名前を聞いて、東京の人がしょっちゅうマーニに遊びに来てるのかなと思いましたが、地元から離れたくて、でも離れられない人でした。
東京コンプレックスがあるんですね。だから、東京大変だわーっていう女の子に、「それを幸福っていうんじゃないですか!」みたいなキレ方を。都会の人の「田舎は、おだやかでなんの悩みもなさそうだ」幻想についても、ぴきぴき来てる感じで。
この映画自体、「田舎では、都会と違って癒しの生活が送れるよ。せかせかしてなくて、時間の流れはゆっくりだ。」という部分がありました。
しかし、「どんなに地方でも、人々は問題を抱えており、決して楽園ではない」と念を押してある感じはしましたし、誠実な作りだったと思います。

マーニの立地は、精神不調の療養には向いていそうです。自然とともに人間らしい生活をし、仲間達と語らうという点で。ただ、湖が見えていて、夜の月。だだっぴろい。ちょっと虚無感とか寂しさもありそうです。落ち着く反面。

東京女が草の上を叫びながら転がるシーンを見て笑うときおくんの気持ちが、最初わからなかったです。
何故笑う。
「夜中に奇声うるせぇよ寝れねぇ、なんだあの女!頭おかしい、二度と関わるまい。耳栓くれよ。寝る。」とはならなかったんですね。
あれが滑稽に見えてイライラが飛んだのでしょうか。そして、転がった挙句、女の子らしくめそめそ泣いてるのを見てちょっと色っぽいし可哀そうだしキュンときたぞと。

後から思えば、草むらごろごろは、印象的な場面でした。
幸せになろうともがいていてかっこわるいから、愛しいというということで。
ときおくんは、若いのに(かっこいいし)、なんで東京に行ったって仕事がないしと思い込んでしまったのでしょうか。この日常を終わらせてまで、東京に行く目的意識や動機もあるわけでなし、勇気もないし、ということですかね。

シャワーが、個室の中じゃなくて、階段登ってすぐあるんですね。
店主が客にタオルを渡して他の客に持っていかせる、ということは、現実的か?と考えましたが、常連の多い所だと本当にありそうですよ。客to客の物品受け渡し。ただ、タオルは難しいかもしれません。

ときお君が、パンを二つに分けて大きい方を女の子に渡した時、別映画が頭を過りました。チョコを割って大きい方を女の子に上げたその優しさと気遣いが別れる原因になったという。
夏の客二人には問題ありませんでした。よく食べまくる女の子なので。
というわけで、夏のシーンから、パンを分けあう、という行為はしっかり意識して見ることが出来てました。

店主夫妻と客が全員外出している場面、お店はクローズ状態なんですかね。営業時間前や後に出かけてるんでしたっけ?
ひまわりの咲く夏、若者のパワーに溢れた章でした。
ときおくんと女の子が日光浴するシーンには吹き出しそうになりました。シュール。
女の子のぶっ飛び感もここまでくると笑えるし、名シーンですね。
お誕生日を祝うお店って実際ありますもんね。他のお客も歌ってくれたり。
ベタではありますが、あのハスッパで元気な女の子のしおらしく、丁寧な物言いとか、本気の本気で感謝してくれてる感じとか、りえさんの(?)「これから、もっといい誕生日がくるよ」で、不覚にもグッときてしまいました。(´;ω;`)
あと、ときお君が去ったと訊いた後にひまわりを見る所。うっ。

秋の章。未久ちゃんが登場した瞬間の私のテンションの上がり方は異様でした。
この子が、お店にくるとは思ってはなかったです。バス停の子、モブにしても気になる…。緑っぽいランドセルに帽子とカーディガンとリボンの制服…、スカート丈、まっすぐの足、靴下の丈…気になる…・!ってなってました。
この子が、秋の客の主役だったのですね。
バスに乗らなかったので、学校でいじめられているのか?不登校児なのか?友達いないのか?と思ったのですが、水縞くんが学校に行った場面で、ちゃんと、友達がいて笑ったりふざけたりしてました。意外。
未久ちゃんが家に帰ると台所が乱雑で、お金が置いてありました。鍵っこ?親は、家事や育児を放置気味な人なの?と嫌な予感がしました。
実際は、お父さんと二人暮らしで、お母さんは、お父さんと喧嘩をして出て行ってしまったということのようです。
未久ちゃんは、お母さんのかぼちゃのポタージュを食べたいと言います。
お父さんは、密かにマーニに行ってそれを注文しようとしますが、やめました。
それを見たりえさんが気を利かせて(?)、次に未久ちゃんが来た時にかぼちゃポタージュスープを出すのですが、未久ちゃんは、気分が悪くなって出て行ってしまいます。トラウマ地雷を踏んでしまった+お母さん以外の人が作ったポタージュを食べたくなかった、のですかね。
りえさん水縞くん夫妻が、未久ちゃん親子に手紙を出すんですけど、宛名が「未久ちゃんへ」で届くものでしょうか。郵便屋さんが常連ですし、そんなに大きな町じゃないから近所なら下の名前だけでOKなんでしょうか。
どうぶつの森とかゲーム内だとそれで届きますしね。地獄耳のいる童話的世界観ならそれで十分です。
「未久ちゃんへ」という封筒をさらに郵便封筒に入れただけかもしれません。ただ、住所じゃなくて、人に向けて配達しているような。自宅だったら、未久ちゃん分とお父さん分、両方同時に同じ場所に届いてしまいますもの。
で、お父さんと未久ちゃんの前に出されるのはかぼちゃのポタージュですよ。
前回あんな拒否反応を起こされたのに、もう一度出すとはチャレンジャーです。
しかし、今度は、お父さんと一緒ですから、状況が違います。
食べたら、お母さんのとは違うけど、おいしい、といことになりました。
未久「私も、おとうさんと一緒に、泣きたかったよ」 (´;ω;`)ウッ…
お父さんは、お母さんが出て行ったし、戻ってこない(書類上も離婚してしまっているんでしょうか?)と言う事を未久ちゃんに言ってなかったんですね。
お父さんは、職場のロッカー室でカップ麺を食べています。
これは、マーニで出される料理や、奥さんのスープに比べて、あまりに雑でさみしい食事です。カップ麺おいしいですけど。
突如、アコーディオンを弾き始める阿部さん(あがた森魚)。あのケースに死体でも入ってるのかな?と思ってましたが、ここで開けるんなら楽器だなぁ、と気づきました。
(´;ω;`)ウッ… こういう場面、演出、ちょっとミュージカルっぽいかんじ、とか人によってはしゃらくさくて苦手だし浮いて見えると思うんですが、個人的には、ツボってしまい( ;∀; )ミクちゃん、これからは、お父さんと腹を割って、悲しみも幸せも分け合ってゆくのだよ!!!!とか感激してしまいました…。何かに負けた気がしますけれど、心地よいです。
未久ちゃんの力が弱くてパンが割れない時に、お父さんが分けてくれます。さすが、力強い。(´;ω;`)ウッ…

冬の客。これもまた重いですね。水縞くんは、「あの人達をちゃんと見といて、なにかおかしいんだ」とりえさんに伝えてから、米を入手しに出かけましたが、私も、そのセリフの前あたりから、「心中するつもりかな?」と考えていました。
こんな真冬に、老夫婦が、病気の体をおして思い出の地に…。死ぬ気だなこれ。と思いました。
実際、二人は、お月さん見に行こか、と薄着で外出しようとします。りえさんなりに頑張って引き留めてましたね。
りえさんの、あの、穏やかで優しくて、美人で、物分りが良いのに、どこか壊れている感は絶妙でした。
薄い膜の向こうにいて、かつ、ここよりずっと遠くを見てるような存在感です。
これと言っておかしいことは何一つ言わないししないのに。おさまるべき所にぴったりおさまりすぎている…?
心の底から笑っていないらしい、ということは最初の方で出てました。
作り笑いでも、見る人を和ませるし、顔が笑ってると気持ちも明るくなるし、仏頂面でいるよりはよっぽど良さそうですけど、水縞くんには、無理して笑っているりえさんが、悲しく映るんでしょうね。
老夫婦の旦那さんは、地震で営んでいた銭湯と娘を失くしています。奥さんは不治の病で余命幾ばくもない上に、認知症が進んでいるようです。
昨日出来た事がもうできない。明日が来ても、もう、新しいことなんてない。それで絶望したんですね。
奥さんは、パンを食べません。そのはずでした。しかし、自らの意志で食べ始めたのです。ご飯も用意してもらっているのに。そして、「お豆さんのパンおいしいねェ」って、言いました。
おばあちゃんだけど、こどものようでもありました。
それを見た時の旦那さんの表情で、また(´;ω;`)ウッ…!
奥さんは、今まで食べなかったパンを食べたんですよ。もう人生も終わる間際だというのに、新しい喜びを覚えたのです。そして「おとうさん、わたし、明日も、パン食べたないなぁ。」
(´;ω;`)ウッ…
りえさんと水縞くんが止めなかったら、おばあさんに明日はなかったんですからね。
そりゃ、旦那さんもああなりますよ。(´;ω;`)ウッ…
しばらく、マーニに宿泊し、パンの作り方を習うことになる老夫婦。
こういう時、奥さんの方が三つ編みとかできるのに、旦那さんの方は不器用でとちゅうで投げちゃう感じとかかわいいですね。
このあたりで、プチミュージカル・童話的ミニパレードとダンスパーティーが入ります。農家とアコーディオンと地獄耳が列をなして踊りながら参上。普段からこういうことしてる人たちなんでしょうか。
モリモリ子供の増えるお家です。農家。
カンパーニュ=パンを分け合う人=仲間=家族の素 というような感じで描かれていました。
はて、カンパーニュ、恋人?…カンパー…乾杯!?とか勘違いしてました。
恋人という定義だったら、秋の親子がおかしいことになりますしね。
りえさんは、駅のホームで、「私のことをずっと見ててね」、と言ったと思います。これ、大泉さんがどうでしょうレギュラー放送の最終回で涙腺崩壊した原因のセリフに似てますね。藤村Dの「見てるぞぉ」。
このあたりで、りえさんが振り向いて、水縞くんが笑ってるのかと思ったらほとんど泣き顔だったように思います。(´;ω;`)ウッ…
冬の終わりか、春のはじめか忘れましたが、りえさんは、私の幸せ見つけた、という意味の事を言います。
その時は、心から笑っているように見えました。
おそらく、その笑顔こそが、水縞くんの手に入れたかったのものなのです。りえさんが幸せを見つける事=水縞くんの幸せ。
(夏のバースディパーティーでパン食べてる所のとろけそうな表情も十分幸せそうでしたけど、本気で。でも、笑顔とは違うかも。あれは、おいしいものを食べた時の顔です。)

りえさんは仲間を癒すことで、癒されてきたんだと思います。
北海道の小さな町の、決して大きくない店と、多くはない客、その仲間達とのつながりで傷ついた心や無意味な寂しさを解消されたのではないでしょうか。
日々変化する、雪や月や湖、動植物の力、それらとの関わり方もあり、「毎日が宝物」度合も上がったことでしょう。

春になり、老夫婦の奥さんが亡くなったという手紙が届きます。
旦那さんの手紙には、「死んでいく所を最期まで見ていられた」という旨書いてありました。
りえさんの「ずっと見ていてね」ともリンクしていて、これが、家族で仲間で夫婦か、「見ている」ってことが…。…と、(´;ω;`)ウッ…
夫妻は、マーニ所縁の人達に贈り物をします。
郵便屋さん、交通法違反してそうですけど、童話的世界観ならアリです。多分、重量も高さも幅も過積載です。
来年のお客さんが決まった。それは、お腹からくる、赤ちゃんだということです。
大橋のぞみさんのナレーションを、羊(山羊?)のモノローグだと思ってたんですよ。ペット目線で語られる作品はほかにもありますから。
ですが、実は、これから二人の間に生まれてくる子供の声だったということなのでしょうか?(それとも、羊が来年までに死んで、赤ちゃんとして生まれてくるとか?オープニング前見てないので不明。)
もし、羊じゃなくて、ずっと最初から赤ちゃん(予定)目線だったのなら、叙述トリックですね。
羊の映像とナレーションをかぶせてミスリードを誘った形の。

物語全体を通して受けた印象は、以下の通りです。
「カフェ・マーニというカウンセリングルーム。そこには苦悩を抱えつつもニセモノの笑顔を貼りつけた人々が集う。しかし、やがて本当の顔を取り戻し、パンを分け合った者同士近づいてゆく。メインカウンセラーであるりえさんが実は一番病んでいて悲しみが深く、それは、水縞くんにも治せない。しかし、他人の為に尽くし、仲間を笑顔にしている内に回復していく。」

りえさんの抱えている苦しみには、夏、秋、冬の客のように、「これを取り除けば明確に解決する」という原因がないのかもしれません。

季節は、仲間・二人・家族、という物の進行具合に対応していたかと思います。
特に、夫、父、息子、といった男性側の年齢に合っているものと思われます。

夏は、出会い、これから二人になってゆく所。(青年)
秋は、家族から一人が離れて崩れかけてゆく所。(中年)
冬は、年老いて、いっそ二人一緒に終わらせてしまおうとする所。(老年)
春は、新しい家族が増えてゆく所。(胎児)

単なるオシャレ映画ではなく、骨太ドラマだったと思います。
エンディング中に涙を乾かそうと必死でした。明るくなったら恥ずかしいので。

ところで、真冬でも、パンを焼くのはあの表の窯なんでしょうか?水縞くん寒い中大変ですね。
  1. 2012/02/07(火) 05:36:33|
  2. 映画感想

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