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五木寛之「親鸞」感想

※読み返さないで書いている為、勘違いしている箇所もあるかもしれません。
親鸞 (上) (五木寛之「親鸞」)親鸞 (上) (五木寛之「親鸞」)
(2009/12/26)
五木 寛之

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親鸞 (下) (五木寛之「親鸞」)親鸞 (下) (五木寛之「親鸞」)
(2009/12/26)
五木 寛之

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【あらすじ】
牛の決闘を見に行った少年が、河原の僧侶や裏世界の人間と親しくする内、怖くて悪い少年ギャング団的な組織数百人の頭であるところのドS美少年に目を付けられて、大事に巻き込まれていく。
出家、修行を経た少年は、恋に悩み、己の煩悩の抑えられなさに苦しみ、また、仏は本当に居るのか、どんな姿をしているのか、という、出家している者には大前提の部分すら信じきれないでいる。
青年となり、心から尊敬できる師匠、法然上人を得、「ただ念仏さえ唱えればよい」という思想と向き合ってゆく。
彼こそが後の親鸞である。

【具体的なネタバレは避けた感想】
実家、見捨てた形の弟達、召使い的な人々、兄弟子、お山(出家先)、国、朝廷、法王、悪の為に悪をなす六波羅王子(前述のドS美少年)、3人のタイプの異なるヒロイン(内、二人が姉妹)、生家や「奔放の血」、様々な要素が絡み合い、かなり、エンターテイメントしつつ、仏教の深部を真剣に描いており、古典名作のような味わいがありました。

悪と善、の概念が少し反転します。
やり方は非道いし、犠牲者もでますが、その悪役のお陰で、主人公が仏の道を踏み外さないで済んだりしますし、どうも、悪役の方が、かえって、「この世には善人がいる」と信じている節があるんです。自分を悪に染める事で。
一方、全ての人を救いたい親鸞は、一見、善良で慈悲深い正義の使者に思えます。しかし、彼は、この世の人間は全て悪人なのではないか?というような考えを持ってきます。
先人の残した仏教に関する文書を読み解くほどその思いは強まります。「殺生をしてはならない、それは悪である」というような事が書かれていながら、同時に、「動物だけでなく、植物にだって命はあるのである」とも書かれている訳です。
つまり、人間が生きていく限り、必ず殺生をしてしまうということになり、生きとし生ける人間は悪人だ。となって行くんですね。

悪役は、俺は地獄行きだよな!?浄土に行けないと言え!!と親鸞に迫ってきます。彼は、自分のような悪行三昧の人間は、極楽浄土に行けない、全ての人が浄土に行けるわけではないという「例外」を創ることで、それ以外の人間は、悪人ではなく善人だ、という事を証明しようとしているのではないか、という事が匂わせてあります。

この時代は特に、悪事を働かないと生きていけない人達が多いのです。賭博や売春や盗み、人身売買など。生活の為に、お上の規制を破り、誰かを泣かせる事を生業とする人々は、しかし、死後地獄に落ちる事をとても恐れています。親鸞は、その人々をも救おうとするのです。

五体投地がこんなに過酷な修行だとは存じませんでした。
仏の姿を見るまで最大級土下座のような姿勢を繰り返します。親鸞は途中で気を失うかどうかして、結局、仏を見ていないのです。なのに、周りから賞賛されて五体投地卒業扱いをされ、それを黙って受け入れます。
そして、嘘をついたまま生きているのは恥ずかしいし、いっそ死ねば良かったと思うのです。
似たシチュエーションは現実にもありそうです。本当はできてないのに、褒められて、それをちゃんと否定できず、嘘をついた形になることって。苦しいし、時間が経つほど言い出せなくなりますね。

「選択(せんちゃく)」という概念が、ロックでした。
おおまかに言うと
【こちらから選び取るだけではなく、むこうから選び取られるって事が大事なんだ。打ち鳴らした右手と左手、どちらが鳴ったとかそういうことじゃないんだよ。阿弥陀仏の全てを救いたいという思いと、救われたいと願う人間の心がぶつかった時に火花が出てよ?それが闇を照らす光になるんだぜ!!】
という感じでした。

法然上人の説法は穏やかなものですが、町民の前に立つ彼は、ロックスターっぽかったです。
おおまか→【君は、今、私を拝んだろ。阿弥陀仏を拝みなさい。月を指さした指を見てどうする。月を見なさい。】
そして、オーディエンス総立ちの大合唱ですよ。(南無阿弥陀仏)

親鸞が「修行も女人断ちも不殺生もいらぬ。念仏一つ唱えれば良い」という思想を、これは本物かもしれないと思う理由は、「危ういから」です。「真実は、決して安全なものではない。」それが親鸞の考えです。ロック。
当然、その思想を悪用する輩もでてきます。どんなに悪いことしても念仏一回で極楽浄土行き確定だから、進んで悪さしようぜ!という事で、あぁ、やっぱそうなるよね、と思いながら読んでいましたが、その行動の裏には、下手すると、親鸞よりも深い、師匠、法然上人への愛と崇拝があったらしく、驚きました。
価値観が反転することが多くて面白いお話でした。
逆説の嵐。しかも、妙な説得力。

恋愛模様も神話レベルに濃いです。惚れたはれた、くっついた離れたという生易しいものではなく、命をかけた欲望との葛藤劇となります。
男の方としては、女子の心を弄んだ気はないのですが、女子はすっかりその気。傍からみると、女子の方が正常の反応で、男が加害的というレベルで鈍感で無神経で、かつ、ちょっとは欲や甘えがあったんじゃないの感。そう言った部分がリアルです。しかも半分無意識の微妙な罪が、うら若き乙女を自暴自棄と破滅へ突っ走らせるあたりが、残酷です。

稚児といいますか、男しか居ないお山で男色は普通ということで、美少年の弟弟子などはかなり狙われますし、親鸞も、良い香りだなぁ…と、ときめきます。美少年が屈強な男にさらわれそうになって主人公が助ける、というシチュエーションなど、どこのBLかという話で、そういう部分も楽しめますけど、このお話は扱っている期間が長いので、やがて二人とも少年じゃなくなりますし、互いの立場も変わっていきますのであらかじめご了承下さい。

法然上人は、今でこそ、野説法のお人ですが、昔はお山一の秀才で、沢山の仏教書を読んだ後、全てを捨てて、念仏一つ唱えれば良い、というシンプルな考えに至りました。
お山の人達も、親鸞も、その沢山勉強した人、というのが気になり、絶対的な勝てなさみたいなものを感じます。
法然自身も、お山でエリートで知識豊富だった事について、その栄光(?)を捨てきれてない気もします。実際、親鸞に「あなたは今でもお山の子なのではありませんか?」と聞かれます。
法然には、培ってきたそれらがあるからこそ、自虐することもなく、野説法ができるのではないでしょうか。知識と経験を棄てる必要すらないでしょう。自分で努力して得、迷いの道筋が全て、血肉になっているのですから。
いきなり「念仏一つあればいい」と言うのと、膨大な勉強を経てから言うのでは、重みと説得力が違いますしね。

お山に居る慈円さんは、法然に嫉妬しています。彼も「本当は権力争いより、人々に説法する方がより僧侶らしいんじゃないのか」と考えつつ叡山を降りられなかったのです。それを、法然はやった。そう有りたくて、でもできなかった事をやっている奴がいる、ヽ(`Д´)ノキーーー!というのは、コンプレックスとして理解しやすい心理です。
慈円さんは、法然どうせ新しい教えを開くなら、どうして、お山の上でやらないの!これじゃ、お山から真剣に祈り続けてる私の思いを否定するじゃない!と恨みます。真剣に祈ってたら山からでも通じる部分はあるかと思うんですけど、そうだと信じ切れないなら、まだまだ修行が足りなさそうです。

登場人物は、皆、不安と嫉妬と苦悩を抱えています。
それらは「煩悩」と呼ばれるもので、それを捨て去る為の修行をしている人達のはずなのに。
「煩悩を丸抱えしたまま浄土に行ける」というのが法然の教えの一つでもありますが、法然だって実は全てを悟った超越者では全くないんですよね。

悪役、六波羅王子の生い立ちは、主人公級でした。娼婦とさるお方の間に生まれ、幼い頃母親を船上で殺し、今度は父親であるさるお方の命を狙っているのです。
とても痛そうな拷問器具に人を乗せて死ぬまで遊ぶ、という事はお屋敷で日常的にやってますけど、いつかその器具に父親を乗せるのが夢だ、と言っており、エディプスコンプレックス要素を感じます。
上でドSと書いてますけど、この人、ドMでもあるんじゃないのかな、と思える場面がありました。いつも人をいたぶって殺していますけど、本当は手酷く殺して欲しいんじゃないのかと。

人の心は矛盾に満ちていて、どちらも捨てきれなくて、だからこそ救われて欲しい、と思える、良ストーリーでした。
バトル、歌合戦、など派手な要素も多いので、仏教を知らなくても問題なく読めました。骨太で面白かったです。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

  1. 2011/10/23(日) 13:46:50|
  2. 読書感想文(小説)

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