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スタジオジブリ宮崎吾朗第二回監督作品アニメ映画「コクリコ坂から」感想(途中からネタバレあり)

コクリコ坂から 1000ピース コクリコ坂から 1000-264コクリコ坂から 1000ピース コクリコ坂から 1000-264
(2011/07/22)
エンスカイ

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【あらすじ】
戦後、港南学園高等部1年の少女、松崎海(まつざき うみ)は、両親不在の家庭を切り盛りしていた。
海には、毎日、旗を上げる習慣がある。その様子は、詩として学校新聞に書かれていた。
ある日、新聞部が、学校の中庭で事件を起こす。
部活棟、兼、集会場のある老朽化した建物、通称「カルチェラタン」を解体の危機から救おうというパフォーマンスが行われたのだ。
新聞部部長の風間は、屋上から飛び降り、また、有志が、校舎中で「カルチェラタン解体反対」の垂れ幕が下げた。
池に着水した風間を引き上げたのは、海であり、その「握手」写真は、学校新聞の一面を飾ったのであった。
それをきっかけに、互いに意識し、距離を縮めていく海と風間だったが…。

【途中まで、ネタバレなし感想】
とても良かったです。
公式サイトのキャラ紹介に載ってない、魅力的な「隠し球」を見る為にも、劇場に足を運ぶ事をお薦めします。

頭から終りまで、全編くまなく気に入りました。セリフもキャラクターの動きも背景描写も音楽も声の演技も全部。
特に、テンポが良かったです。場面転換や、各シーンの長さ、会話のスピードが、とてもしっくり来ました。
ここが合わないと、どんなに他がよくても、勿体ないアニメになってしまうと考えております。その点が、大成功でした。(個人差あり)

素直に青年達の恋模様を応援できるし、彼、彼女達のトキメキ的なもの、また寂しさや苦悩などが、みずみずしく伝わってきました。
ひねくれていないが故に、逆に新鮮でした。

属性的、非属性的な意味での萌えは、沢山転がっておりました。
印象としては、萌えの為に萌えを描いたのではなく、主人公達の生きる世界や、キャラクターの気持ちを丁寧に描写した結果、萌えの大発生を招いた、という感じです。

何度か、少女の身支度描写があります。スカートをはいたり、髪を結ったり。
この目線が、誰のものなのか――成人男性なのか、年下男子なのかか、同級生なのか、同性なのか、血縁者なのはよくわかりませんが、少女の美しさや生活感が存分に描かれていました。

カルチェラタン内部のごちゃごちゃした、変人の巣窟感が大好きです。
太陽の黒点観察だけをする部活(天文部?)、およそ部屋とは呼べない一人用ブースで哲学に耽る非モテ男子、あやしい実験を繰り返す化学部、文芸部室に拠点を持つ新聞部。
カルチェラタンは、植芝理一「ディスコミュニケーション」、押井守「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」、ゆうきまさみ「究極超人あ~る」に登場するような文化部員達が、毎日学園祭状態で、日の光の当たらない場所にゴチャゴチャ住み着いている棟、という感じです。
吾郎監督がどうかは存知ないのですが、学生時代の駿監督は、完全にカルチェラタン側の住人だったでしょうね。

そこに、ザ・一般人である、海(少し堅物)と、妹の空(ミーハー気質)が入っていくのです。
リア充・一般人、と、オタク・マニア・変人が、協力、共生、融合していくそのエネルギーが面白かったです。この活気が。

女子に免疫のない非モテブサメン男子達の反応も初々しくて可愛らしいですし、しっかり者で強気な女子達も可愛らしかったです。
女子が強い、と言っても、肉体的には非力であったりと性差はあります。

そこを、上手いこと取り仕切る水沼会長の指導力に、輝くカリスマ性を見出す事ができました。
この歳で、なぜそんなに人間できてるんだ!コクリコ世界では、風間さんと並ぶハンサム度合いの眼鏡君ですが、心までイケメン過ぎます。ここまで「この人についていきたい」と思わせる生徒会長も、そうそういませんよ。
溢れる自信は、経験と実績、能力に裏付けされており、嫌味がありません。
まったく照れる事なく、女子をエスコートしたり、他人の色恋いの機微を瞬時に察知し、場合によっては自然に席を外したりと、異性に免疫があり、空気が読めるデキル男です。なんという余裕。
恩着せがましくなく、茶化すわけでもなく、わざとらしくもなく、こうことが出来る男子高校生なんて、完璧超人過ぎます。
「〇〇したまえ!!」というムスカ口調も似合いますし。
水沼会長は、新聞部部長風間の親友です。先の騒動も、二人が中心となって起こされました。

ジブリと言えば、「美味しい食べ物 神作画」、というイメージかと思いますが、この映画はあえてやってるのか?というくらい、出来上がった食べ物自体はじっくり映さなかったように思います。
料理を作っている所、自分で作れない分を人に依頼している所、料理の材料を購入すること、そして、出来上がった料理を食べながら皆で会話している場面、というのは、何度もあります。しかし、料理そのものがドンと写ることは少ないか、皆無だったようです。
例えば、出前でお寿司を取った際、海が、重ねた器を持って運ぶ場面がありますが、その中身であるところの寿司には注目させません。すこし、引きで、斜め後ろからの画でした。
これは、食べ物よりも、人間を中心に据えているからなのでしょうか。
そもそも、私、食べ物の絵がどうとか意識しないで見ていました。鑑賞後、同行者がなんやかや物申してましたので、深読みを試みた次第です。

原作は未読ですが、キャラクターやストーリーは大幅に改変、整理されているようです。
脚本は、吾郎監督ではなく、お父様の宮崎駿さんともう一人の方です。
しかし、監督と脚本が異なるのは至って普通の構造ですし、駿監督ならやらなそうな演出や見せ方(宮崎駿より、近藤喜文や高畑勲寄り?)が、沢山あったので、これは、吾郎監督が、前作よりも、凄まじい速度で成長されたと見てよろしいですね?
コクリコは、駿監督ではなく、吾郎監督の作品であると。

監督親子を扱ったドキュメンタリーは未見で、再放送待ちです。(追記、再放送見逃しました。)

今まで、好きなジブリ映画はいくつかありました。ワクワクしたり、面白かったり、興奮したり、考えさせられたり。でも、個人的には、泣いたことありませんでした。記憶が確かならば。
その点、コクリコ坂は、途中5~6回涙をこらえたくらいには、感動いたしました。DVDで一人で見ていたら号泣していたでしょう。
全ジブリ作品の中では、「ラピュタ」と並んで一番好きな映画になりそうです。

この映画、奇跡や超常現象や未来科学やSFなどのファンタジー要素が一切ありません。
また、アクションやバトル、空中飛行、兵器炸裂も同様です。
現実の昔の日本を舞台にした、特殊能力を持たない一般人達の日常です。実写でも撮影可能でしょう。
でも、アニメだからこその、うねりや熱気、美しさ、真実味があって、とても良かったです。

ストレートで清々しい作品でありながら、危ういタブーを幾つかかすります。スレスレアウトなくらい。
よく、億することなく正面から切り込みましたね。

キャラクターの心情や、全体の状況を、天候や時間帯のメタファーで表現するのは鉄板ですが、分かりやすいし気持ちが入るので良いものですね。

お話として、メインの筋は2本あります。それは、海と風間さんの「私的」なストーリー、そして、カルチェラタン解体問題という「公的」なストーリー。
どちらか1本では足りなかったと思います。前者だけでは、規模が小さくまとまってしまいますし、後者だけでは、海に移入できません。
二本の柱が相互に作用して、良い効果を生んでいたかと思います。
カルチェラタンサイドが時間軸の進み方を表し、その上で、主人公サイドの物語が展開されているようでした。

ジブリ作品で何度か見られたモチーフ、「母性的な少女」は健在です。

若者も大人も、外来語を日本語に置き換える事なくそのまま使用したり、古めかしい軍人のような口調になったりすることがあります。それが、時代に即した形で出てくるのが良いです。
言い回しとしては、ちょうど、現代の漫画やライトノベル、アニメ、小説、映画のキャラクターが、回帰している辺りに思えます。
萌えキャラでも、そうでなくても。

声を当てているのは、職業声優ではなく、ドラマや映画で活躍されている方の俳優さんです。
既にお名前やお顔もよく存じている方々だったのに、事前にキャストを調べずに見たこともあり、一切ご本人を思い出しませんでした。
アニメアニメしたお話ではないこともあり、それらの声質や演じ方で合っていました。
キャラクターが喋っているようにしか聞こえません。
(基本的には、「アニメキャラに当てる声は本職の人希望」派なのですが、コクリコは成功だったようです。)

【以下、ネタバレあり感想】 







話の最初の方から、ファザコン要素バリバリでした。
旗を上げるという行為は、海で亡くなった(行方不明)父親に対するものなのです。
これは、分かります。肉親を失った事を受け入れられない気持ち、もしくは、父を忘れていないという表明。
ですが、同居人達は、海に「早くいい人見つけて、旗を上げなくても良くなる日がくればいいね」というような台詞を言うのです。
つまり、海の執着と愛情を、父親から、他の男性に移せば、旗上げは卒業だね、というニュアンスなのです。
通常、異性の親が大好き、というのは、親子愛であり、同年代のパートナーが出来るという恋愛とは、地続きでは語られないように思います。
例外はあれど、近親相姦は、禁忌のテーマですよね。法律でも倫理でも本能でも。

海のお父さんのかっこよさが凄まじいです。
見た目もそうですが、生き様や存在感も素敵すぎます。
海が、夢の中でお父さんの胸に飛び込む場面は、全く「男女」を感じさせませんでした。
「性的な要素を排除した普遍的な愛」と「別離の寂しさ(I miss you的な)」は溢れていたように思います。
シーンの受け取り方は人それぞれで、個々人の生育過程や両親、子供との関係性、感情体験も反映されるでしょうね。
あの時、海は、みんなのお母さん役、しっかり物の高校生という外装を脱ぎ捨てた、「子供」でした。

海は、まだ十代半ばの女の子ですから、心が不安定なのが普通ですし、まだまだ親に甘えたい時期です。それなのに、両親はそばにいません。
母は存命ですが、それでも、離れて暮らしている事に変わりません。
朝、目を覚ますと母親がご飯を作っている、これは、かなり多くの人が子供時代、当たり前だと思っていて、後に懐かしく思い出す光景かと思います。
光の当たり具合や、色合いから言って「夢の中かな?」とは気づきましたが、海への移入具合が急速で深かったです。
条件反射的に切なくなりますね。

なお、その時点の私は、海の家族構成を把握しておらず、母親もすでに亡くなっていると勘違いしていました。
ですから、生身の母親が帰ってきた時驚きました。
母が大学の先生か何かで海外に言っている旨、前半で説明あったかもしれませんね。うっすら聞いたような。

勘違いと言えば、途中まで、「カルチェラタン」=「海の住む家」、主人公の本名=「メル」だと思ってました。
「海の住む由緒正しき屋敷が解体されちゃうのかなぁ」とか、「この子は、メルって呼ばれたりウミって呼ばれたり、どちらかが聞き間違い?」と。
読解力と観察眼の無さはピカイチなので。
「海」をフランス語で「ラ・メール」と言い、それを縮めて「メル」だそうです。
「メル」が愛称・ニックネームであることは、自然と分かってきました。
風間さんは、最初、「メル」とは呼んでなかったと思います。しかし、海と親しくなり始めた頃から「メル」と呼び捨てるようになったので。
呼称により、海と周囲の人物の距離感さえ把握できれば十分なので、「メル」の由来はカットしても成り立つのでしょう。本編でも述べられてたのに聞き逃していただけかもしれませんが。

カルチェラタン存続派の方が少なかったのですね。一般生徒にとっては、壊して構わない建物だったのです。
初期反対派は、おそらくあの埃まみれの棟で活動していた層だけだったのでしょう。

この映画、女子が、男子に対して「かっこいい」と思う仕草が沢山描かれてました。
釘を打つ、高所作業、エスカレーターや満員電車で女子をかばうように密着、自転車で送ってくれる、エスコートしてくれる、など。
「ボランティーアの皆さん!」会長の采配お見事でした。
メインの掃除部隊である女子を、こき使うわけでもなく、下に見るでもなく、頑張らせ、それでいて、危険度の高い仕事、力の必要な作業は「男共」に振るのです。
その司令に素直に従い、文句垂れたり反発する生徒が居ないのも気分よいですね。

哲学に没入し、リアル人間との関わりは薄そうだった彼は(強引な勧誘で皆に引かれていたんだと思う)、女子生徒と交流し、また、皆で協力してカルチェラタンを守るという戦いに勝利した際、涙をボロボロこぼして喜んでいました。
頭でっかちっぽい人が、現実に触れたら、実は情に厚く、涙もろいことが判明する。具体例は何一つ挙げられませんが、「ある」と思います。彼のゴミだめは、いかにも思春期の男子らしいものでした。恥部は、人目から遠ざけたかったんですよね。
それを無慈悲にひっぺがす所が、笑えました。イジメ感は、ゼロです。

集会で、風間さんが机か椅子の上を飛び跳ね壇上に立つ場面、カメラ(フレーム?)の位置や動かし方、スピードとタイミングが最適でワクワクキャーカッコイイーでした。あの滞空時間と飛距離は、リアルとは異なるかと思います。
このような場面における見栄えの良さは、アニメの、実写より優れた点の一つだと言えるでしょう。
風間さんの演説「古いものを捨てる事は、過去を(記憶を?)を捨てる事だ。そんな輩に未来はない。少数だからと意見を聞かないのは民主主義を語る資格がない!」は響きますね。海が演説に反応した時の、表情カットも入っていたようですし、より気持ちを引っ張られました。
例え、風間さんの意見が、その場しのぎの詭弁だとしても。

見張り生徒の合図で突然歌いだす水沼会長。校歌か何かの大合唱となります。
敵味方に別れて討論していた生徒達は、一緒になって教師の目を欺くのでした。
こういった集会を教師側に悟られないようあらかじめ、偽装策が用意され、周知されているんですね。
裏の結社と言いますか、「共通の秘密」感が良いです。

新聞に載せるテストの山張り予想は、過去問の研究の上で成り立っていたのですね。さすが、水沼会長。
水沼会長だか風間さんは、要るものと要らないものを分けて、捨てる判断力、決断力に長けているんですね。
それなのに、カルチェラタンが不潔だとか、片付けなきゃという発想がなかったのでしょう。ある生徒は「埃は誇り」くらいの事言ってましたしね。
その辺、女の子の方が気づきやすく敏感なんでしょうね。

海と風間さんの話に戻すと、父親が同じ、つまり、二人は血の繋がった兄妹だった、という展開になります。
海は、お父さん大好きのファザコン娘を脱出したと思ったら、今度は、お兄ちゃん大好きのブラコン妹に移行って、どっちも近親相姦だろう!エーどうするのー、ってなりました。
その疑惑に先に気づいたのは風間さんです。海は、まだ、風間さんをボーイフレンド、親しく、好きな異性として見ています。その温度差は、朝の挨拶無視(風間さんが、海をスルーして、別の男子に声掛けた)でモロに出ていましたね。
二人の関係性はギクシャクしていきます。
空は曇るし、雨は降ります。
この辺り、海が一番落ちていて絶不調の当たりですね。
ずぶ濡れで帰ってきて、夕食もおいしく作れませんでした。
両親が同じ家に居る夢を見たのはこの頃ですよね。
布団の中で、胎児っぽいポーズとってましたっけ。

男子トイレで並ぶ、水沼会長と風間さん。
真顔なのがちょっと笑えました。明るい会話ではないのに。
女子は、友達と並んで用を足すという機会がないですから、この辺、男子特有ですね。

帰ってきた母親に、父には他に子供が居なかったか、風間という人を知らないか問う海。
そこで、分かった(?)のは、父が戦死した友人の子供を戸籍上自分の子として連れ帰ってきたが、家では育てられないからと、さらに別の友人に預けた、それが風間の義父だった。ということでした。
海は、風間と血縁がないかもしれないという可能性に触れながら、警戒を解いていません。
父親が母ではない女性に生ませた腹違いの兄妹である可能性を捨てていないのです。
「もしも、本当はお父さんの子供だったら?」
ここ、よく母に向かって聞いたなと思いました。母からすれば、それは、旦那が浮気・不倫したということなのです。
それに対する母の即答に感動でした。
「会いたいわ。どんな男の子に育ってるかしら。」
例え、自分の子供でなくとも、愛する夫の子供ならば、成長した姿を見たい、という気持ち。
母親の態度には、「他所の泥棒猫には負けないわよ!!」みたいな憎しみや嫉妬、独占欲など、ネガティブな感情は、微塵も見られませんでした。
海が泣いて、母親に背中さすってもらったのはどこでしたっけ。この前後ですかね。背中さすさす、も母親と子供の間ではありますよね。特に幼少期でしょうか。

カルチェラタンの大掃除に参加したせいか、女子の、解体反対派が増えました。
しかし、理事長は、解体とクラブハウス(?)の建設を予定通りに行うと言うのです。

水沼会長と風間さんと海は、学校をエスケープして東京(?)の理事長をアポなし訪問し、直談判を決行しました。
理事長の秘書さん、冷たいようで、生徒に優しい所もありましたね。
水沼会長の受け答えは、実に説得力がありますね。
予約を取ろうとしても会ってもらえないと思ったから、直接来た、と。
さすが会長、考えなしで行動する事はないんですね。理由があって、あえて、強引な手段をとっているわけです。
理事長が出てくるまでの間、長い時間が流れます。
ひたすら待ち続けている、ということは十分伝わってくるし、実際、見てるこちらの体感時間も長かったです。
しかし、引き伸ばしだとか、間伸びしているとかの不快感はありませんでした。
エレベーターの「チン」という音で時間が飛ぶからです。

理事長、もっと話の分からない嫌な大人かと思ったら、良い人でした。
「建物を掃除したので、ぜひ、一度ご覧になってください」という高校生の申し入れを聞いて、すぐに予定を変更してくれました。
電話でスケジュール調整するテキパキさが、できる大人の雰囲気を醸し出してました。
海の生い立ちや、しっかりとした佇まいも、理事長を後押ししたようです。
水沼会長は、常に、相手である理事長を立て、失礼のないようにしつつ、狙い通りに事を運びました。どれだけ紳士で策士なんですか。

理事長面接の帰り道、これまた水沼会長が空気読んで、風間さんと海を二人っきりにしてくれます。
電停での告白。これが面白く、そして危うい所は、「自分達には血縁関係がない」ことを明らかにしてから行われるのではなく、たとえ兄妹でもあなたが好きだと言い切った所です。
海は、「お父さんを思って旗を上げ続けていたけど、お父さんは、帰ってくる代わりに、風間さんを送ってくれたんだと思うことにしたの」と言います。心の中では、その解釈で決着付けたんですね。
感動的ですが、近親相姦っぽいです。
もう少し平たく言うと、「お父さんは、お父さん自身の代わりにお兄ちゃんを私に寄越してくれたの。私は、そのお兄ちゃんが好きです。」という事ですよね。
しかし、こういったタブーや法律の壁を超える勢いで、本当に好きだ、という点で、打算も嘘偽りもない愛情だとは証明されたと思います。
その後、風間さんと海の父親と親友だった船乗りが、二人の父親は別々であると、証言してくれました。
その船乗りおじさんが、親友達の息子と娘に会えて感激している姿に、貰い泣きしそうでした。
学生服着た青年3人の写真は、そのおじさんと、風間さんのお父さん(真ん中)と、海のお父さん、彼らの若い頃だったみたいです。

二人のわだかまりが解けました。
海は、最後まで、旗を揚げる事をやめませんでしたっけ。

海の挙げた旗を、風間さんは義父の船から見て応答していたのです。しかし、海の庭からは見えませんでした。
近くにいて、何度も交信しているのに、すれ違いっていたのです。それは、この映画を通しての、二人の立ち位置を象徴しているように思えます。

海の旗に答えている船がいる、それを知っていたのは第三者です。
ヒロさん、と呼ばれていたと思いますが、背が高くて眼鏡を掛けた猫背の女性です。
本人同士には見えない事も、外からは簡単に確認できる。これは、現実にもありそうです。

海が風間さんを意識しはじめるよりも先に、風間さんが海を見ていたという事でよろしいでしょうか?
新聞に詩を書いたのも風間さんですしね。

ヒロさん、眼鏡外すとイケメンですね。女性ですけど。
普段のあの姿勢、動き方、眼鏡かけてるのに英語に弱い所など、少女漫画「海月姫」の「尼~ず」に居てもおかしくない雰囲気です。
ヒロさんは、別に、特定の何かに対して、マニアだとか、オタクであるとか、そういう事はなさそうですが、現代の腐女子と近いものがあります。
夜中に描いた絵だと、色が良く出てないというのが、絵画的にどういう意味なのか分かりません。
周囲の明るさの話か、自分の視力や精神的な主観の話か、物理的な絵の具の乾き具合や発色の話か。
どれにしろ、その絵には、風間さんと義父の乗る船が描かれていました。
海が気づく前に、見つけましたよ。船の応答旗。

風間さんの義父は、実子が居ない状態ですかね。風間さんの前に赤子を亡くしているというので。
奥さん、当時まだお乳が出せた、ということは、生まれて間もない子を失ったんでしょうね。
義母さんは、子供の風間さんが連れてこられるなり授乳を始めます。
死んだ子供が帰ってきた、居なくなった子供の代わりにこの子が送られてきた、くらいの勢いですものね。遺伝的な繋がりの有無を一切問わない、それが母心なんでしょうか。
義父は、自分が本当の父親でないことは、風間さんに明かしています。それでいて、力強く、「お前は俺の息子だ」と断言するあたり、人間として素晴らしいし、ラスト、ちょっとウィンクしてみたり(?)お茶目な所もかっこよかったです。

話は少し戻って、カルチェラタンを訪問した理事長。この人、本当に学があるというか、知識が豊富で、人間の多様性を認めているんですね。
太陽黒点観測部の「太陽の寿命は長く、人間の寿命は短い!まだ、何も分かっておりません!」という開き直った報告を、馬鹿にせずに聞いていましたし、哲学もご存知みたいです。
ここで、生徒達による大合唱が起こります。
理事長は、素晴らしい生徒達だと褒め、カルチェラタンの取り壊し中止を宣言します。
ここも理事長の台詞理解できてませんでした。
一瞬、え…他にクラブハウスを立てる…?ってことは、つまり、この古い建物は壊して、ちゃんと綺麗な部活棟を立てたあげるよ、って意味かと。
ですが、その後の生徒達の反応で、カルチェラタンの存続が決定した事を知り、ホッと胸をなで下ろしました。
(クラブハウスというのは、会員制の施設を言うらしいので、生徒向けではないということでしょうか。)
そんな中、海と風間さんは、上述の、船乗りおじさんに会いに行く訳ですが、抜け出す時は、「式場からの花嫁争奪」っぽい雰囲気がありました。
水沼会長は、「このような状況で申し訳ありませんが、行かせてあげてください。この二人にとって、人生の重大な局面なのです。」みたいなセリフを言いましたが、会長は、いつから二人の関係性や、そこに横たわる問題を知っていたのでしょうか。これからその決着を付けに行く事もご存知のようでしたし、親友の風間さんから聞かされていたんですかね。勘の良い会長なら、二人の態度や会話の切れ端だけで全てを理解できそうですけど。作中ではっきり描写ありましたら、見落としすみません。

海には、父親が一人しかいません。死別はしていますが、そこは揺るがないと思います。
一方、風間さんは、父親が三人いるようなものなんですね。
実父と、海パパ、そして、今の育てのお義父さん。
明るく溌剌とした風間さんですが、自分の生まれやからくる、アイデンティティの危機は何度もあったんじゃないですかね。

海パパは、風間さんの義父に乳児を託す時、なぜ、自分の子ではなく、戦争で亡くなった別の男の子供だと、真実を知らせなかったのでしょうか。
いくつか理由を考えてみました。

・海パパと風間義父は友達だが、死んだ風間実父と風間義父には直接面識がなく、養育を引き受けてもらえないと思ったから。

・海パパも、現在の風間義父のように、この子は俺の子だ、という思いが強く、また、戸籍偽装の粗も出にくいように、身内にさえ信じ込ませていたから。

・成長後の風間さんが、「自分は2度も貰われていった子だ」と思うことで、「俺は要らない、邪魔な人間だ」などと考える事を防ぎ、いたずらに不安に煽らない為

風間さんの容姿は、最近、海パパと似てきた、と評されていたかと思いますが、あれは一体。
先入観と思い込みで、人の顔などどうとでも見えますから、そういう類の事なのでしょうか。
生き残り船乗りが、嘘つくとは思えないんですよね。

血が繋がっていなくても親子だし、例え血が繋がっていたとしても、赤の他人と変わらずに愛する決意ができる、という事が描かれていました。
血縁は、運命的な呪縛のようです。
さも重要であるかのようで、実は、血の絆なんて合って無いようなもの、という風にも取れます。
それでいて、完全に無視しきれないのが難しい所です。
カルチェラタンと同じで、それまでの歴史あっての、今、そして未来ですしね。
海パパは、なんとか幼い風間さんの命を存続させようとし、成功したんですね。

その辺は、宮崎親子が二代で関わっている作品という意味でも、興味深いものがあります。

本当に、面白かったです。

↓らくがき
水沼会長殿ブログ

テーマ:最近観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/08/19(金) 07:33:57|
  2. 映画感想

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