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太宰治「人間失格」

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))
(2006/01)
太宰 治

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【あらすじ】
食うのに困らないという意味ではなく「空腹」というものを実感できない葉蔵には「食わなければ死ぬ」というのは脅かし文句か迷信にしか思えなかった。
「めしを食う為に働く」という「人間の営みが」理解できなかった。
また、他人と「幸福」の概念が食い違っており、自分はいつも不安で狂いそうなのに、傍から見れば幸せだと思われている。
「人間が恐ろしい」「人間と何を話してよいか分からぬ」そして、葉蔵がとった最後の求愛行動は、「道化」になることだった。
必死に皆を笑わせていれば、「生活」の外にいても気にされないのではないか。そうして、身近な者から他者にまでお茶目なサーヴィスを振りまくようになった。
ある日、学校でいつものように計算通りドジを踏んで笑いを取っていた所、それが「ワザと」であることを見抜いた同級生がいた。その名を竹一という。葉蔵は「彼とは親友になるか、彼の死を願うしかない」というくらいに思いつめた。しかし、葉蔵は、「殺されたいとは何度も思ったが、殺したいと思った事は一度もない」ため、その竹一には媚を売って手なづけることにした。
そうしているうちに、竹一に「お前は、きっと、女に惚れられるぞ」と言われる。それが悪魔の予言であったことを、葉蔵は後々思い知ることになるのであった。

【途中まで、ネタバレなし感想】
前後の「はしがき」「あとがき」に、「或る青年の手記」が挟まっている形式のお話です。
その青年とは、葉蔵のことですが、手記の第一行目が
「恥の多い生涯を送ってきました」
という、インパクト大にして有名なものとなっています。

この小説は、作者の自伝に近いものらしく、名前や人間関係、時系列は前後していますが、大体、太宰にとって29歳までに起った出来事を綴ったものだそうです。
「人間失格」は雑誌連載されており、その最中に、作者の自殺体が発見されるというセンセーショナルな事件が起りました。
執筆自体は終わっており、分割掲載中でした。

上のあらすじを見ても分かるとおり、今現在、「飯を食うために働くという行為」に馴染めない人や、その「人並み生活」から外れてしまったという人は沢山います。
また、就職し、結婚し、住居を確保し、子供を作り、家族を養っているという所謂「人並み」(←これ相当ハイレベルだよね…)の会社員でも、社会を動かす為、また、自分と愛する人が生きていく為に働くということに疲れたり、疑問を抱いたり、虚しくなっている人も多いでしょう。
太宰や葉蔵は、それのもの凄い鬱バージョンらしいです。

現代の「萌え」に繋がる描写があちこちありました。
例えば葉蔵の同居先には、30歳前後のバツ一眼鏡女性(アネサ)とその妹で女学校を卒業したばかりの少女(セッちゃん)がいました。
以下、引用――――
「葉ちゃん、眼鏡をかけてごらん」
或る晩、末娘のセッちゃんが、アネサと一緒に遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた挙句の果てに、そんな事を言い出しました。
「なぜ?」
「いいから、かけてごらん、アネサの眼鏡を借りなさい」
いつでも、こんな乱暴な命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。
「そっくり。ロイドに、そっくり」
当時、ハロルド・ロイドとかいう外国の喜劇役者が、日本で人気がありました。
自分は立って片手を挙げ、
「諸君」
と言い、
「このたび、日本のファンの皆様がたに、…」
と一場の挨拶を試み、さらに大笑いされて、それから、ロイドの映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。」
――――引用終わり
眼鏡萌え、強気女子萌え、など色々先取りしています。
ロイドの表情研究は、似ていると言われてまんざらでもないのかなぁと微笑ましく感じたのですが、葉蔵的にとっては、あくまでも、「ロイドのものまね」という「お道化」の精度を上げる為の努力にすぎなかったのかもしれません。

そうして、葉蔵は人を笑わせつつ、やたら、女性に弱みを見せられ、その秘密を守るという役割を負わされることになるのです。
面白いイケメンで、しかもこの人になら安心して泣きついてもいい、という相手となれば、女性もコロっと惚れてしまいますもんね。
ちなみに、女性の気性の変化やブルーな状態についての葉蔵の内面は、決して同情的でも、優しいものでもありません。

高等学校で寮に入った所は、かなり、共感できる方多いのではないでしょうか。
以下、引用――――
自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。
――――引用終わり

でも、そこから先の「或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。」というのは、個人差が大きいでしょうね。
左翼思想のあたり、特に、時代を感じます。

この後、女性にさらにモテるようになってしまうのです。うっかり、プロの売春婦で修行しすぎてしまい、自然に素人女も惹き付けてしまって。
でも、この淫売婦に通い続けたのは、若さ故の有り余る性欲を発散させためではないんですよ。

以下、引用――――
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算もない好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかもしぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに(以下略
――――引用終わり

葉蔵は、自分と売春婦は似ていて、売春婦はマリヤ(聖母マリアの事だと思われる。)のようでもある、と考えています。
だからと言って、売春婦≒葉蔵≒マリヤと思っているわけでもないんですよね。マリヤというからには、女性限定のイメージなのでしょう。

共産主義の会合に出席し続けたのは、マルクスに傾倒しているわけではありませんでした。
生まれつき「日陰者」だという自覚を持つ葉蔵とっては、組織が「非合法」であるという点で、居心地が良かったのです。
よほど、合法で日の当たる世界とそこに適応している人間が恐ろしかったのですね。

その後も、女と金と日陰者意識が、葉蔵の人生に大きく影響します。

【以下、ネタバレあり感想】







作中の葉蔵は、あっさり一度目の情死に挑んだ事を述べます。
その後に経緯が書かれているものの、人妻との心中自殺未遂なんて大事(おおごと)を、えらくサラっと書きますね。
同時に3人の女性に好意をもたれているという言葉は、ノロケでも自慢でもありません。どちらかと言えば、愚痴です。
その内の一人であるツネ子が、心中未遂の相手ですが、名前もうろ覚えです。
先に「死」を口にしたのはツネ子の方でした。葉蔵は同意しました。
葉蔵側の自死動機としては、昔からの人間恐怖があったかと思いますが、堀木がツネ子を「貧乏くさい女だ」と言った事と、「金がないのに坊っちゃん意識が抜けていない」と自覚した事も追い打ちをかけたようです。
つまり、「プライドが傷ついた事による羞恥心」というのが大きいように思えます。
泥酔する中で、葉蔵は貧乏同士の親和性からツネ子が愛しくなり、恋心が動いたのでした。
これ、何か別の感情と「恋愛」を混同してませんか?
自己愛と共感と同情と哀れみと自嘲。
「こんな貧乏臭い女とお似合いの貧乏臭くて惨めでかわいそうな僕」に酔っているのでは。

サラリイマンという和製英語は、もうこの時代にはあったのですね。
「人間失格」というのはとても有名な作品なのですが、未読だったので、主人公(葉蔵)が漫画家になるなんて知りませんでした。
意外です。
どうりで、話の序盤から、ちょくちょく「漫画」という単語が出てくるはずです。
太宰の人生と重ねているとすると、小説家を捻ったものなんでしょうね。

「世間」というものの実態について考える葉蔵。
葉蔵は、「世間とは個人ではないか」という思想を持ち始めます。「世間」を複数の人間の集合体ではなく、個人と捉えたのです。
「これ以上は、世間が許さないからな」と言う堀木に対し、葉蔵は、(世間とは君じゃないか)と考えたのです。
これは、現代でもよくある話ですね。
「世間の意見はこうだけど君はそれでいいの?」「みんながお前のせいで迷惑している。」というような。
このような言い回しは、相手に直接物申したら角が立つという場合の責任回避や、発言内容を誇張する時なんかに重宝しますね。
発言の説得力や信憑性、相手に与える影響力やダメージなどが上乗せできます。
果たして「世間」というのは、実在するのか。「みんなの声」というものは、どこを調査したものなのか。統計的に明らかなのか。
「世間」=「個人」ではないにせよ、多くは、都合のいい所だけ、自己の意見と合致する所だけを切り取って「世間」「みんな」と称しているように感じます。

玄人、素人、年上、人妻を含む複数の女性と遊んだのに、結婚相手は十代の処女、というのは男の夢なんでしょうか。
処女性というものは、肉体的に、経験的に処女である、ということを超えた美しさを持っているのかもしれません。
そんな妻ヨシ子は、間男に寝取られてしまいました。
ヨシ子の同意はなく、「なにもしないから」という言葉を信用して男を家に上げてしまったことによる、強姦だったようです。
人を疑わない、人を信じる事にかけて天才だったヨシ子。葉蔵は、その無垢な信頼性が好きだったのですが、それすら汚されてしまいました。
ヨシ子も葉蔵と同じように、人の顔色を伺いビクビクして暮らすようになります。
妻を犯した男は、葉蔵に原稿を依頼して金を置いていく商人ということでしたから、漫画家の担当編集者なんですかね。
葉蔵が、糧を得る為にしている仕事の関係者に、妻の持つ美徳を破壊された、という点で、何か象徴的なものがあります。
「やはり、人間は怖い。人間の営みは恐ろしい。」という絶望に繋がりかねません。

ヨシ子の隠し持っていた(?)致死量の睡眠薬を服用して3日間眠っていた葉蔵。毎度、自殺未遂が唐突です。
特別、「死ぬぞ!」と意を決している感じがしません。
覚醒しかけた時のうわ言は、「うちへ帰る」でした。
「うち」というのは、今住んでいる家なのか、実家のことなのか、それとももっと観念的などこかなのか。
それは、葉蔵本人にも分からないようです。
これほど生きる事に疲れ、死にたがっているのですから、「生まれる前に戻りたい」くらいの勢いで「どこかに帰りたい」のかもしれません。

葉蔵は、元から鬱病だと思うのですが、それから酒に溺れ、ついには、薬物中毒になってしまいます。
薬物があれば、酒は飲まないでいられるし、仕事が捗ると主張する葉蔵なのですが、薬代で借金が嵩みます。
貧乏と中毒の悪循環ですね。
生きている事自体が罪の種だ、死ななければならぬ、これ以上は恥の上塗りだ、という地獄から逃れるため実家の父に(女のことは伏せた)長い手紙を書きますが、返事はこず、自殺しようと決めた日、葉蔵は、優しい微笑みをした堀木とヨシ子らに連れられて病院の門をくぐります。
てっきり静養所だと思っていた葉蔵ですが、そこは、精神病院でした。
入院患者は狂人ばかりで、そして自分も狂人だと知りました。人間、失格の烙印を押された。人間ではなくなってしまった。葉蔵はそう感じます。
強制入院措置は、おそらく正しいことです。そうでなければ、彼は今度こそ自殺に成功していたかもしれませんし、また死に損なったとしても、葉蔵は、「廃人」という単語の本来持つ意味通りの廃人ですから、治療が必要です。
葉蔵的は、自分が狂人だということよりも、周囲の人たちに、狂人だと思われていた事がかなりショックだったものと見えます。騙されたという怒りや悔しさもあったでしょう。
現在でも、自覚のない精神病患者をいかに入院させるか、というのは難しい問題のようです。
当時は、今以上に精神疾患への風当たりが強かったでしょうし、しかも、葉蔵は「恥」の気持ちが強い人です。
もしも、葉蔵に口頭で「脳病院に行こう。これはお前の為なんだ。」などと言ったら、葉蔵は、その時点で駆け出して行ってどこかに身を投げてしまいそうです。「狂人扱いされた!生きちゃおれん!」と。

鉄格子窓の中療養する葉蔵は、父親が死んだ事を知ります。また、兄から、「お前の過去を問わない、生活の心配もかけないし、何もしなくていいから田舎で静養してくれ」という意の事を言われます。
つまり、生きる上での煩わしさ、重荷、義務感から開放されたわけですが、それで葉蔵が元気を回復するわけでもありません。
苦悩する能力さえ失い、精神病院に適応していきます。
体調の波はありますし、老女中みたいな女に逆レイプされたりはしますが、取り留めない暮らしを送りそのまま幕となります。
睡眠薬と下剤を間違えた上、その下剤が「ヘノモチン」なんていう変な響きの名前。ちょっと笑ってしまう。そんな毎日です。

ただ一切がすぎていくだけ、というのが、葉蔵の唯一得た、真理らしき事でした。
幸福も不幸もなくただ過ぎる時間。
さほど悪い暮らしにも思えませんが、だからと言って、人々の望む暮らしでもないのでしょう。
社会生活を営む世間の人間からすると、それは、生きているのに死んでいるみたいな状態なのかもしれません。
葉蔵にとっては、恐怖や不安に怯え、道化を演じ続ける日々よりは、目の前で起こった些細な出来事にフっと微笑んだりする生活の方が、大分マシなように思えますが。
病棟での葉蔵は、きっと、昔自身が抱いていた売春婦のような顔つきになっているのでしょう。

以下、引用――――
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。
――――引用終わり

「白痴か狂人のような売春婦」を自分の同類としていた葉蔵ですが、「自分自身が白痴か狂人のようだ」とは考えなかったのでしょうか。

葉蔵の手記が終わると、「あとがき」があります。葉蔵の脳病院入りから、10年経っています。葉蔵がその後どうなったかは分かりません。

解説によると、自殺未遂をし、麻薬中毒に陥った太宰を、先輩友人が騙して精神病院に入れたというのは実話だそうです。
先輩達は、太宰を放っておけないと入院させたのですが、太宰からすると裏切りでした。
周囲の人たちは、悪意なさそうですね。狂人の厄介払いや隔離、という事ではなく、太宰に中毒を直して欲しい、という優しさからの行動だと思うんですよ。
三十歳が、太宰の再出発ということですが、その時、「主観的事実や実生活」と「文学」との一致を諦めたのだと言います。(解説者がそう言っているだけで、本当は違うのかもしれないけれど。)
その後、太宰が書いた作品が「富嶽百景」「走れメロス」などです。
まさか、あの教科書にも載っているような、時には力強く、時には滑稽だったりするエンターテイメント文学が、精神病院に入れられ「人間をやめた」後に書かれたものだったとは。

単に生活と精神状態が落ち着いてたお陰かもしれませんが、本作を読んだ結果、太宰の抱える不信、恐れ、羞恥心などの人間性と、おどけて、楽しく、外面の良い作家性を切り離した結果、お道化方面の文学的名作が生まれたのかもしれない、という気がしてきました。
入院後の作品には、本心とは逆の主張も盛り込んだのではないでしょうか。信頼や愛について。それらを太宰の主観に基づいて書いたら、猜疑心と憎しみの物語になってしまいそうです。

明るく、生きる希望にあふれた作品群は、葉蔵の言う「薬物があれば仕事が捗る」状態に似た、躁めいたものだったのかもしれません。本人は、心身共にボロボロになのに、仕事では、読者を笑わせようとしているのです。

この作品を読む前は、「主人公が自殺して終わる話」だと思い込んでいました。
葉蔵生存ENDは予想外です。
分岐のあるゲームなら「精神崩壊廃人ルート」というバッドエンドにしてトゥルーエンド、という扱いでしょうか。

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

  1. 2011/06/17(金) 01:52:01|
  2. 読書感想文(小説)

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