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映画「ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団~はばたけ、天使たち~」感想

あの子

【あらすじ】
スネ夫にラジコンロボを自慢されたのび太は、悔しくてドラえもんに巨大ロボを出してくれと頼む。
「かっこよくて大きくてビームを出せるロボットならここにいるじゃないか」とドラえもん。
のび太は、「ドラえもんみたいなのじゃなくて、もっとかっこいいロボットがいい」と駄々をこねる。それに拗ねたドラえもんは、どこでもドアで北極に行く。後を追うのび太。そこには、青い球体が転がっており、大きなロボットの部品が空から降ってきたのだった。
自宅に戻ったのび太とドラえもん。庭に次々と部品が落ちてくる。二人はそれを鏡面世界で組み立て、「ザンダクロス」と名づけた。

【途中までネタバレなし感想】
旧作が好きで何度もビデオで見返した映画のリメイクです。
新ドラの声にもすっかり慣れ、違和感はありませんでした。

巨大ロボットの作画がとてもよかったです。巨大感も動きも質感も素晴らしく、旧作とはまた違う存在感がありました。
街の描写は、リアルな都市っぽく(東京がモデル?)、民家や高速道路、高層ビル等とロボの対比が迫力ありました。
いくつか、破壊、衝撃波、戦闘描写などがあるのですが、ひたすらかっこいいです。
ストーリーはおいといても、アクション部分を見てるだけで面白いです。

キャラクターが皆善良というわけではなく、ドラえもんやのび太からして女好きで、若干腹黒く、毒舌入っていて、でも憎めなくて笑えました。
「笑い」ポイントは、旧作より多かったように思います。劇場の子供達が声を立てて笑っていました。

女性キャラが皆かわいく、ちょいエロでした。描線に強弱があるせいなのか、それとも、キャラクターデザインの関係なのか分かりませんが、肉感的で、キャラクターが元々持つフェティシズムを増幅させているようでした。
しずかちゃんとゲストヒロイン・リルルがかわいいのは勿論、のび太のママ「玉子」が魅力的でした。
ママは、何気なく、パパと熱々な様子が伺えます。(ミニトマトを箸で食べさせてあげてる)

ストーリーの流れは、大幅には改編されていないのですが、鉄人側のエピソードがかなり肉付けされています。
心情変化の説得力が増していました。
その分、いくつかのお気に入りシーンやセリフはごっそりカットされてますが、それまで詰めたらバランスおかしいですし、上映時間に収まらないので、そうするしかなかったと思います。

登場人物の表情が豊かで、昔よりディフォルメが効いているようです。
新しいひみつ道具も出てきます。コミカルなものもあり、子供達が喜んでいました。
基地やメカなど、SF的な部分の造形やエフェクトがセンス良くて本格的でした。

全体的には、笑えて、感動できて、他者を思いやる強さ、弱者を自分とは違うものと虐げる醜さを描いていて、なによりロボとアクションがかっこいい、という映画なので、子供から大人まで楽しめると思います。

【以下、ネタバレあり感想】(旧作のネタバレもあります)

巨大ロボットを組み立てるワクワク感が良いですね。

「人間はゴミみたいな下等生物か?ゴミなら蔑ろにして良いのか?」という問いは、旧作や原作コミックでもあったと思います。
司令官の「人間などゴミみたいなものではないか」というセリフにリルルが反発するのです。
新劇場版では、「ゴミ」というのはキーワードとして何度も登場しました。
メカトピアでは、上流階級が労働ロボットをゴミ扱いしているのです。
リルルは、ゴミと呼ばれ壊れかけたザンダクロス=ジュド(の頭脳)を直してあげます。
そして、リルルは、ゴミだと思っていた人間のしずかちゃんに怪我の治療をしてもらいます。
しずかちゃんは、ゴミ捨て場の人形にも愛情を注ぎます。
ゴミに見えても気持ちはあるぞ、という連鎖のように描かれており、分かりやすい構図です。

そこら辺、旧作より、リルルが「人間は私達と同じくらい、いえ、もっと複雑な感情を持っている生き物です」と総司令に述べるに至る過程が筋道立っていて理解しやすいです。

旧作でのジュドの頭脳は、ドラえもん達の手で、ドリルにより穴を開けられ改造されます。
さりげなくとんでもないことしてる!!と子供ながらに思ってましたが(それでいてドラの「見たことがない回路なら見たことがある回路に直してしまえばいいんだ」という迷言の前向きさとヤバさも好き)、今回はかなり人道的(ロボ道的)です。
昔のジュドは、翻訳こんにゃくを乗せると、もっと低い男性の声でわめく全く可愛気のない奴でした。そして、改造された後は、ドラえもん達の味方になるのです。
別に、ジュドの意思で仲間になったわけではありません。改造後のジュドは、もう、元のジュドとは違うのです。
だから全編通して、ジュドは、「単なる頼もしい兵器」であり、「戦闘ロボのような無駄にカッコイイデザインの土木工作用機械」に過ぎなく、そこに「心」は感じませんでした。最後、リルルや兵団と共に消えたはずなのですが印象に残っていません。
リルルとジュドの関係性も薄く、リルルにとっては「ジュドと呼んでも返事しない、動かない、頭脳は入れなかったの?」程度で、そこに友情や愛着の存在は皆無(描かれていないだけであったのかもしれない)、「仕事上のパートナー」「道具」というドライなイメージでした。

新劇場版で、一番変わった点は、「ジュドの頭脳」の扱いです。
ドラ達は、「頭脳」が性格悪くて腹立たしく、話し合いにならないので、ひみつ道具で、可愛らしい姿の鳥型マスコット「ピッポ」に変えてしまうのです。
本人(ロボ)の承諾を得ないで勝手に姿形を変えてしまった上、別の呼び名を付けるというのもかなり外道ですが(人間に置き換えると、「おまえがブサイクで愛着持てないから、無理やり美少女に変えてやったわ。ついでに、萌える名前もつけた。今日からおまえはピッポたんな!」というようなものです。)旧作よりは扱いがマシです。

「ピッポ」は、祖国で歌う事を禁止されていた歌(歌詞は恐らく、メカトピア建国頃の伝承、ロボットのあるべき理念を詩にしたもの)を歌い、虐げられる作業用ロボの悲しみと、救ってくれたリルルへの想いを語ります。
さらに、ツンデレなのび太に救われ、ツンデレにお礼を言うなど、交流を深めます。
「脳」が単体で移動するとか、かなりシュールですが、見た目的にはあざとい程に可愛らしいです。
そういえば、リルルとジュドの頭脳が出会った場面、何ゆえジュドは頭脳だけで行動していたんですかね。元々は、ジュドの頭脳という役割でもなかったのでしょうか?それとも、土木作業以外の時は、頭脳のみで行動するのがデフォルトだったのでしょうか。地球に来た時も、本体を呼ぶ発信機的な位置づけでしたし。
リルルは、地球侵略の為に作られた人型ロボットなので、リルルとジュドの出会いはそれ以降となります。どちらが年上なのでしょうか。

廃墟の街、地下への階段で再会したリルルとのび太が「撃つよ!」「撃ちなさい!私を止めるには撃つしかないわ!」「僕にはできないよ」「いくじなし!」というやりとりをするシーン。旧作ならピッポことジュドは全く関わらない場面です。そして、のび太は、リルルビームをモロにくらいます。
今回は、ジュドが身を挺してビームを浴びました。
リルルは、愛するジュドを攻撃してしまった事にかなり動揺していた模様です。

3万1年前に戻って、メカトピア最初のロボットアムとイムを作った博士に会いに行く、リルルとしずかちゃん。
これ、旧作でも思った事なんですけど→「博士死にかけてるなら、タイムマシンでもうちょい前の日付に戻れよ!」。
ですが、それだとドラマ性が超絶薄れるので、このギリギリタイムリミット感が良い、ということで。地球では、ドラ達がピンチ真っ最中で、タイムスリップのやり直しなどしている場合じゃないのでしょう。

リルルは、博士に代わってアムとイムに「他人を思いやる心」を植えつけます。博士が途中で亡くなるので、仕上げはリルルのオリジナルプログラムです。
操作パネル(これも現代アニメっぽくてかっこいい)に自分の胸の星としずかちゃんに貰った星(リルル治療中しずかちゃんがかけてあげた星のネックレス、あれは、リルルのものかな?と思ってたのですが、元々しずかちゃんが部屋に飾ってたアクセサリーなんですかね?もう一回見ないと分からないです。)を入れます。
リルルは地球に来て、しずかちゃんやのび太と交流したことで、「ヒトを思いやる気持ち」をこれでもかと学びました。
しずかちゃんは、敵と分かっていても、理不尽に電撃されても、リルルを治療しました。のび太は、リルルを止めたいのに、電撃されるのを覚悟で、リルルを傷つけないという選択をしました。
そうでなくても、リルルは、元々知っていたのです。メカトピア時代に壊れたジュドの頭脳を修理し、自分の胸の星を一つ部品として与えたくらいなのですから。でも、「下等な人間」が、自分達ロボと同じ、高度な感情を持っていると認めたくなかったのです。奴隷狩りの正当性がなくなってしまいますから。

今作では、しずか-リルルラインだけではなく、のび太-ピッポ(ジュド)ラインの繋がりが強化されました。
ですから、旧作ではしずかちゃん一人が受け止めていた親友との離別の痛みを、のび太も感じることとなっています。
リルル-ジュドラインも補強されているのですが、最期は離別というよりは、一つになったという印象です。

生まれ変わったらしいリルルが、すっかり気落ちし腑抜けになった居残りのび太の元を訪れます。
のび太一人が、学校教室の窓からシルエットを見かけただけなので、その存在は確定的ではありません。のび太の白昼夢の可能性もあります。
しかし、祈りと希望という意味で、リルルは友好的なロボットとして地球に来たと思いたいです。
一瞬天使のように見えるリルルの影ですが、その羽は、リルルの背中から生えているわけではなく、一緒に飛んでいる鳥のものでした。丁度重なり合ったから、天使に見えたのです。
その鳥は、生まれ変わったピッポ(ジュド)なのでしょう。(リルルは羽がなくても自力で飛べる)
今作のサブタイトルが「はばたけ、天使たち」と、複数形である理由が分かりました。
リルル一人が「天使のようなロボット」なのではなく、ジュドと二人合わせて一つの天使になったのですね。

旧作でも「メカトピア星には貧富の差があり、奴隷ロボットと貴族ロボットがいる。近年ロボ皆平等という考えが広まり、新たな労働力として人間を奴隷にすることにした。」という説明がなされましたが、それは、鉄人兵団地球侵略の動機を視聴者に知らせる為、そして、しずちゃんに「人間の歴史をそっくり繰り返してるみたい」と評される為のものという感じでした。
ここで視聴者は、「わけの分からなくて怖い侵略者の鉄人兵団」は、実は、人間と似たものであると知るわけですが、ジュドが虐げられる奴隷側という説明はありませんでしたし、ゴミ扱いロボに同情するリルル、という設定もなかったので、メカトピアの住人に感情移入する隙は殆どありませんでした。
「ロボットよ、おまえらも、見下してる人間と同じように、愚かな生き物なんじゃないか」と嘲りつつ、あいかわらず「敵性」であるといいますか。親近感は沸きませんでした。「一歩間違えば、人類もこうなってたかもな…」とは思いましたが。似たもの同士、合わせ鏡に対する同属嫌悪というやつでしょうか。
そんな風に、「少し仲間っぽくなったリルル」以外には絶対的な距離を置いて見ていたにも関わらず、メカトピア3万年の歴史改変を目の当たりにした瞬間、メカトピア星人に同調し戦慄してしまったのです。(初見の子供がメカトピア星人サイドに立つのは、メジャーな現象ではない?)
「異星人に、何の前触れもなく、気づかない内に歴史改変されて3万年分ののべ何千億(?)の人(ロボ)が消失する」とか怖すぎるだろ!!!!!と。そりゃ、悪いロボもいただろうけど、普通に生活してた庶民もいたはずで…!
しずかちゃんとリルルマジテロリスト!タイムパトロールに逮捕されても全くおかしくない超重罪だろう!そんな風に感じました。子供の頃は、そこまではっきり言語化できてませんでしたが、「取り返しのつかないことしてるぞこの子ら」という直感はありました。(もちろん、地球人、ドラ側にも感情移入しているので、鉄人兵団を前に圧倒的劣勢のドラ達が助かったことは素直に嬉しかったです。)

で、今回は、よりフレンドリーになったジュドと、「実は優しい子」だというのがありありと分かるリルルとなってますので、初めてご覧になったお子さんは、メカトピア住人に親しみを抱きやすいと思うんです。
ロボットだってゴミやガラクタじゃなくて、人間と同じかそれ以上複雑な感情を持っているのだと気づくでしょう。
その状態で、リルルやジュドの自己犠牲と、メカトピア歴史改変を見たらトラウマなるんじゃないか!?と心配なのですが、そうでもないのでしょうか。
旧作より子供向けになった分、子供にかかる結末の衝撃と心的負担が増すかもしれないというジレンマ。
でも、のび太の「リルルだ!リルルは生まれ変わったんだ!」っていうフォローも入るし大丈夫でしょう。私も子供のころ、その後日談に大分救われたので。

現在のメカトピアが天国のような星になっていればいいですね。「他人より少しでも優れた者であろうとする競争本能」が、ロボット達に人間と同じ醜い歴史を辿らせたわけですが、「競争本能」を取り除くとなると、社会や科学の発展がもの凄く遅くなる気がします。

萌え方面の感想を。
玉子ママがエロカワイイです。「お母さん」「奥さん」という側面以外に「女」を感じさせます。
ジュド頭脳(まだ球体だった時)の視覚データ、玉子ママのローアングルとかパンチラ寸前で無駄にエロイです。
「狭くて汚い家」「貧乏な家」みたいな天丼フレーズに過剰反応してストレスをため、最終的にはリルル用のおやつを出しながら、どーせこんな家にはこれくらい(のオシャレでも高級でもないお菓子)がお似合いですよ!!とキレ気味の自虐をするとかかわいいです。

旧作同様、リルルの「私をどこかに閉じ込めて」→スモールライトで小さくして鳥かごに。っていうのも、やたらフェティシズム溢れるものを感じます。
自分から望んで「檻」としての鳥かごに幽閉されるミニチュア少女。

リルルの全裸は、お色気萌えアニメの美少女キャラよりセクシーです。傷口から皮下の機械組織が覗いている図は、「メカバレ」という概念に相当するらしく、下手すると「グロ」の領域です。
旧作より痛々しく感じられました。塗り薬の半透明感がそれに拍車をかけていたような。
スパイとして怪しまれない為、人間そっくりに作ってあるという設定のリルルですが、地球に来た時、地球人はまず着ないというレオタード型ボディースーツみたいなの着てましたよね。ファッションも地球人に合わせないと!とツッコミ入れたい所ですが、日本に来た時は、もう普通の服でしたっけ。
リルルがしずかちゃんの服を借りて着るシーン→しずか「はいバンザイして」リルル「自分で着られるわよ」。
リルルがツンツンしながら素肌に直接身に付けていくのがこれまた変にエロス。
しずかちゃんとリルルは、鏡面世界で出会う前に、道端ですれ違っています。しずかちゃんは「綺麗な人」と頬を染めて見とれてました。百合というわけではないのでしょうが、二人の間には運命の糸があるようです。

旧作や原作では、瓦礫から救出されロボットとバレた時のリルルが凄く怖かったんですけれど、今回はカットでしたっけ?「見たわね!?」としずかちゃんに馬乗りになって首絞めるみたいな行動をするんですよ。そこで、助けに入るのが、スネ夫のラジコンロボ「ミクロス」だったわけですが、今作は、「ミクロス」の活躍は大幅削減となっております。

ミクロスは、お茶目な小型生物という点でピッポとポジションが被るので仕方ありません。
今回、「神様に文句を言ってやりたい」と言ったのはリルルですが、旧作では、ミクロスのアイディアでした。

全てが終わって泣くしずかちゃんを見たミクロスの名言「僕にも、涙の出る装置が欲しい。」も当然カットです。
ミクロスは、メカトピア星住人ではありませんが、ロボットで、人間と共に行動をしているという特殊なキャラクターです。(それを言ったら、ドラえもんもそうなのですがドラは別格)
本作のように、「人間もロボットも友達だ」「仲間だ」「差別なんてない」とは明言してませんでしたし(←うろ覚え。言ってたらごめんなさい)、のび太に対して、借りも貸しも利害関係もなかったかと思いますが、ミクロスは、ごく自然に地球人サイドの仲間でした。スネ夫のラジコンという前提はあるものの、行動だけでそれを示せてたのは、さすがF先生の力量といった所でしょうか。しかも、最終的には、涙の出る機能がないという部分で、やはりミクロスは人間ではない、機械なのだということが残酷なくらいはっきりと見せ付けられるのです。気持ちはしずかちゃんや皆と同じなんですけどね。「器官そのものがないから泣きたくても泣けない」というのは、涙による心の浄化作用や癒しが得られないこともあり、その悲しさが留まる所を知らなそうです。

ピッポのデザインですが、鳥(ひよこ)という動物、少なくとも機械よりはかなり生き物寄りな姿をとられると、人間-ロボットというシンプルな対立軸で捉えるが難しくなりますね。
あえて、第三の軸(単独)として打ち出してるんでしょうか。人とロボ、どちらに転ぶか分からない中間の立場としてのひよこ形態。
ピッポは、視聴者、特に子供が本能的に仲間サイドと認識しそうな見た目です。
姿は可愛くなくてもかっこよくなくても、そもそも人型でも動物型ですらない無機物でも、なぜか超絶イケメンに見えたり、萌えキャラに感じられたりする所が、フィクションと人間の想像力が持つ可能性なので、ピッポの見た目は、あのデフォルトボーリングボール型か、もっと無骨なメカでも全然イケたかと思います。
ただ、お間抜けで表情のコロコロ変わるヒヨコちゃんが、ジュド=ザンダクロスの脳として活躍した時に、スーパーカッコイイ動きをして戦うというギャップは凄く良いです!

これまた、旧作から散々突っ込まれてるかと思うんですが、鉄人兵団、途中で一回湖に飛び込んだのおかしいと思わなかったのか!?気づかないまま一人相撲をして、鏡面世界のパリやロンドンまで行っちゃう杜撰さがキュートで愛しいですね。
と同時に、鏡面世界がどこまでも続くって、実にとんでもないことだな、と改めて思います。
鏡面世界は、現実がリアルタイムで反映されているんですかね。
背景だけの世界なので生き物はいない、といいつつ、植物はある。スーパーには肉などの商品が並んでいる。その肉は、どの時点で「肉」扱いなのでしょうか。家畜が死んだ瞬間ですか。それともパック詰めされて商品になった時なのでしょうか。そしてそれは、現実世界で人間がトラックでスーパーに運び店員が陳列した瞬間、鏡面世界にも反映され、いきなり商品が補充されるのか…!?など、考え出すとキリがありませんが、細かいことは無視すると、無人のスーパーで好きなだけ買い物をするというのに大変ワクワクしました。
今回もバーベキュー準備ありましたね。事前に小耳に挟んだ情報から、あれもカットだと思い込んでおりました。
でも「どれだけ買っても0円」ってレジ打つ所と、金属探知チョークで地域一帯を囲って敵侵入に備えるっていうのはなかったですね。あれ、楽しいようで緊張感ありました。だからこその高揚感も。

リルルが磔処刑って新要素ですかね?総司令の母艦みたいなの、別アニメから出てきたみたいに凶悪かつかっこよかったです。それVSジュドの戦闘もガチで巨大ロボアニメしてました。結局ワープの使える総司令は、脱出してましたけどね。
総司令が道端で歯向かうリルルを杖だか槍だかで突き飛ばして電気ビリビリはエゲツなかったです。
これにより、視聴者は、「リルルになんて酷いことを!総司令は本当に悪い奴だ!!そして、人間を擁護して悪い奴にイジメられているリルルは、いい人なんだ。」と思う…んですよね?
しかしリルルの心はそう簡単に割り切れません。「地球侵略で人間を奴隷にするのは良くないことだと思うけど、祖国も裏切れない」という板ばさみになります。「どうしたらいいかわからないし、自分がこれから何をやらかすか分からない。だから、私を信用しないで。」という「私が不思議」状態になります。現実にも、そういう想いの兵士や活動家はいるんでしょうね。

リメイク版も思いのほか良作で、見てよかったです。旧作の好きで、かつ、切られた箇所は、旧作のDVDを買うなどして見たいです。
上にも書きましたが、ロボとアクションと各種メカ・基地デザインと破壊描写の美しさ、その作画を見てるだけでも十分に楽しいという状態でした。
ストーリーも、以前の唐突感などが大分軽減されて理路整然としており(整合性が取れていれば、きれいにまとまっていれば、粗が無ければ物語として正解、面白いというわけではないし、流れが滅茶苦茶でも、主張が偏ってても、矛盾があっても、言い知れないパワーがある作品もあるけど)、子供の教育上にも悪くはないお話になっていたかと思います。

リルルの上官の総司令の声が、極楽とんぼの加藤浩次さんだった事には、全く気づきませんでした。
普通に、総司令っぽい声と喋り方で、声優合ってるなぁと思ってました。
エンディングテロップで、「総司令 加藤浩次」の文字が流れてきて驚愕するとともに、見間違いか?と公式HPを確認しに行ったほどです。

このエントリーの一番上にあるリルルとザンダクロス(ジュド)のイラストは、新鉄人兵団を見る前に描いたので、旧作のイメージです。つまり、リルルだけを天使のようなロボットとして描いてました。だから、リルルから羽が出てるんです。

ピッポの歌う歌は、「アムとイムの歌」というタイトルだそうです。
歌詞は次のようなものだったと思います。(正式な詞や表記は未確認です)
「一つ目は愛 あなたと私は一つ 二つ目に 願い あなたは私、私はあなた 三つ目に想う あなたは何?私はなぁに?」

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

  1. 2011/03/13(日) 21:44:23|
  2. 映画感想

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