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同人漫画サークル

フランソワーズ・サガン「悲しみよ こんにちは」 河野万里子 訳

悲しみよこんにちは (新潮文庫)悲しみよこんにちは (新潮文庫)
(2008/12/20)
フランソワーズ サガン

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【あらすじ】
17歳のセシルは、プレイボーイの父と、その恋人エルザとともに、別荘でヴァカンスを楽しんでいた。
そこに亡き母の旧友アンヌが合流する。現在42歳。彼女は、理路整然とした思考回路を持ち、上品な人だから、騒々しい父やその仲間、そして自分をバカにしているのではないか、とセシルは思っている。
カンヌでギャンブルをした翌日、アンヌと父の結婚話が持ち上がった。一夜にして突然のことだったが、内心バランスのとれた穏やかな生活に憧れ、周囲を見下していたセシルは、自尊心と優越感から、二人の再婚に賛成する。
しかし、セシルがボーイフレンドのシリルとキスしている所を目撃したアンヌは、シリルへの教育を開始。以降、セシルは、アンヌへの反発心を強め…。

【途中までネタバレなし感想】
この物語は、恋愛をメインに描かれているのですが、計略、陰謀、悪意といった要素が強いので、あまり「ラブストーリー」という印象がありません。
人間の本質を描いた「文学!」という感じがします。

17歳の女の子セシルが、一連のエピソードを通して、精神的にも肉体的にも成長するのですが、必ずしも良い意味の「成熟」ではないようです。
タイトル通り、「本当の悲しみ」という感情を新たに獲得するのですが、その対価は、あまりにも大きいものでした。
これが、偶発的で外から勝手にやってきた出来事なら、セシルもただ黙って受け止めたでしょうが、セシルが自発的に行動した結果こうなってしまったのです。だからこそ、悲しみを感じる事もできたわけですが。
早い段階で、セシルは、オスカー・ワイルドの言葉<罪は、現代社会に残った唯一の鮮明な色彩である>を実行するよりもはるかにしっかりと、揺ぎ無い確信を持って自分のものにした」と考えています。
セシルの罪は、法律的には裁けないものでしょう。因果が実証できないのです。

主人公セシルは、【わたしはこれからどんな形にでもなっていく素材にすぎないから。でも、型にはめられるのはお断りだという素材なのだ。】と認識している為、【教養のあって育ちの良い幸福な娘】に仕立て上げられるのが嫌なのです。
【わたしにはよくわかる。どんなに簡単にわたしたちが、不安定なわたしたちが、そうした枠組みや責任のなさの魅力に負けてしまうか。あの人はやり手なのだ。】
「あの人」というのは、父の再婚候補者であるアンヌのことです。
恐らく、アンヌは、別に主人公達を罠に嵌めて自由を奪ってやろうとか思ってないです。ただ単に、あたりまえの幸福な家庭を築きたいだけであって、他意はないのでは。
でも、セシルはそれを悪く取ってしまうんですね。
少女から大人になる事の、もしくは、今まで幸福と信じていた世界が変わる事への、漠然とした不安感がそうさせるのでしょうか。
セシルは、【あの人は有害で危険】【私たちの道から遠ざけなければいけない】と拒否感をつのらせています。
アンヌが来た事による精神的変化の原因ついて、セシルは、父への倒錯した愛でもアンヌへの不健全な情熱でもなく、ボーイフレンドのシリルといられないことだと自己分析しています。

異性交遊を禁じられ、「もっと勉強真面目にして試験に備えなさい」と言われたので父の再婚相手に反発する、という部分だけ見ると、えらく普通の17歳少女です。

セシルは、アンヌを全面的に憎み敵視しているわけではありません。むしろ、「アンヌは正しい」と内心認めている、本当は自分もそうありたいと憧れている、というのが混じっている所が、やけにリアルで、作者が当時18歳だったというのが信じられない程の心理描写です。
少女を描けるのは同年代だからまだ分かるとして、40代男女のそれぞれの心の動きまで計算して書けてる(と思う)のは、どういうことなんでしょうか。
セシルは、自分の計画が、父とアンヌにどういった作用を与えるか熟知しているのです。想定外の部分もありましたが。それは、父がどういうつもりで女性を愛しているか、各対象ごとに分析できているからなせる技なのです。
女性が魅力的で美しいから愛する、というだけではなく、その女性を手に入れることの付加価値(周りからの羨望、こんなプライドの高い女を俺はモノにしたぜという自尊心と優越感)が重要なんですね。父が自覚しているかは分かりませんが。

セシルの「計画」というよりもう「陰謀」ですが、
【でも、アンヌは私を思索する人間とみなしていなかった。それを誤りだと気づかせるのが、わたしには突然、なにより重要な、差し迫ったことに思えてきた。】
【わたしがどれほど<ほんとうにびっくり!>な人間かアンヌに教えたくて!】
という文章から、セシルは計画実行後の生活を単純に楽しみにし、願っているだけなのではなく、「アンヌに自分の力を認めさせたい、わたしだってちゃんと考える頭を持った意思の強い女の子なんだと知って欲しい」という気持ちの強いことがうかがえます。
このあたりも、人間の後ろ暗い情熱に触れてしまってる感があって面白いです。

冒頭、「悲しみ」について
【ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというものは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。悲しみ―それを、わたしは身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。でも今は、なにかが絹のようになめらかに、まとわりつくように、わたしを覆う。そうしてわたしを、人々から引き離す。】
と書いています。
わたし=セシルが、この物語の後に書いた文章という設定です。本編は、過去を振り返って語る形式なので。

「悲しみ」の定義が、一般的なものとやや異なるようです。

「狭く閉じた美しい世界に第三者がやってきて、その暮らしが崩壊する」というあらすじの作品は割と多いと思うのですが、どれも、外から来た者を異分子、破滅を招く悪魔、みたいに描く割に、実際には主人公サイドの方が、狂っていたりします。最初に「美しい」「幸福」と信じていた状況自体が病んでいるという。
セシルの企み自体は、そう高度で狡猾なものではないと思うんですが、他者を巻き込んでまで実行してしまう瞬発力が危険です。
小悪魔少女どころかピカレスクな勢いです。

【以下、ネタバレあり感想】

セシルの計画というのは、平たく言えば、自分の彼氏シリルと父の元カノエルザが交際しているように見せかけて、父とアンヌを別れさせちゃえ、というものです。

偽装交際の父への作用は、「俺と別れたばかりの女がもう元気にしていて、若い男と早速くっついてやがる…。やっぱり若い方がいいのか?俺は年老いているのか?」という気持ちを煽り、嫉妬させ、「俺が本気出せばいくらでも取り返せる」という考えに誘導するというものです。
そして、父とエルザが寄りを戻せば、アンヌとの再婚話は、破談になるのです。

その計画中、セシルは、アンヌの手に一生を委ねてしまいたいという衝動に駆られます。そちらの方が楽ですし、甘い蜜なのです。
セシルは、父とエルザとシリル、4人で過ごす幸福と騒々しさを獲得する為に、アンヌの追い出しにかかったわけですが、アンヌは別に性悪でも考え方が間違っている人というわけでもありません。
セシルは、アンヌの持ち込む調和の取れた生活、その退屈を恐れていたのです。
建前では「幸せな未来を目指しての計画」なのですが、実際には、「拘束から逃走し自由を勝ち取る」事が主目的になっているように思えます。

【父と私にとって、内面の平穏を保つには外部の喧騒が必要なのだ。そしてそれを、アンヌは認めることができない。】
とあるように、単に「価値観の違い」で片付けられる騒動かもしれませんが、それにしてはあまりに人を傷つけています。ターゲットのアンヌと父もそうですが、セシル自身も、協力者であるエルザとシリルも。
アンヌは、セシルの彼氏(シリル)エルザさんに取られてしまったのね…と本気で心配同情してくれいているのです。これは良心が痛みます。さらに、セシルが自分で仕組んだ事とは言え、自分の彼氏(所有物)が他の女性と仲睦まじくしているのを見せられるのは辛いのです。

エルザへの情熱が抑えられなくなった父は、エルザを口説いて村でお茶を飲むと会いに行きました。実際には、お茶だけでは済まずキスをします。それを、アンヌが目撃。
アンヌは、変な走り方をして車に乗り込みました。そこでセシルが見たのは泣いているアンヌの顔でした。
このあたりの描写、歪んだ百合を感じました。別に同性愛的な感情というわけではないんですけど。17歳×42歳。
【アンヌが姿勢を正した。その顔が歪んでいた。泣いていたのだ。不意にわたしは理解した。わたしは、観念的な存在ではなくて、生身の人間を侵してしまったのだ、と。この人にも小さな女の子の時代があったのだ。きっと少し内気だったろう。それから少女になり、女になった。四十になり、まだひとりで生きていたところで、ある男を愛した。その人と、あと十年、もしかしたら二十年、幸せでいたいと願った。それをわたしは…この顔、この顔は、私が作りあげてしまったものなのだ。】
セシルは、やはりアンヌを調和・拘束・退屈の象徴と考え対決していたんですね。
アンヌもまた、幸せな未来を思い描いている、魂ある一人の人間という事に気づかなかったのです。だからこそ、この非道な計画を立案実行できたのですね。(計画前の早い段階で、アンヌは、観念的なものじゃない。一人の「女」なんだ、とは気づくものの、まだ性的恋愛人間という部分のみにしか注目していない模様。)

しかし、時既に遅し、アンヌは自動車事故で帰らぬ人となります。
その時刻、父とセシルは、アンヌと仲直りするための善良な手紙を書いていたというのが、また痛々しいです。
床に舞い落ちた手紙を父が踏まないようにして歩いたというのはどういうことでしょうか。
良心の欠片でも、踏みにじることはしたくない、というイメージでしょうか。
アンヌに言い訳をして許しを請うことが良心と呼べるのかは分かりませんが。

アンヌの事故死が自殺かどうかは分かりません。事故現場は、事故多発地帯だったのです。
遺書を残した明らかな自殺なら、セシルは罪を認めざるをえず、反省、罰、償いが必要となるのですが、上手い具合に偶然の事故という逃げ道が用意されているのです。
アンヌの死を招いたのは自分か、わたしは罪を冒したのか、自己判断に委ねられたセシルは、その弱い心から、結局あれは事故だったということで逃げてしまいます。
そして、また怠惰な生活を送り、セシルも父もそれぞれ新しい恋人を持つのです。周囲のメンバーは変わりましたが、やってる事は同じです。

自分が罪人であるとは断定できず、罰も与えられない、こんな状況が続くので、セシルは悲しみに包まれてしまっているのではないでしょうか。
アンヌの死を招いただけでなく、父や元カノ、ボーイフレンドを巻き込んで全員不幸にしている時点で、セシルは罪深いですけどね。
あの日、父とエルザの復縁をアンヌが見なければ、自動車に乗って飛び出していくこともなかったわけですし。

アンヌが死んでしまってから、途端に恋人シリルやエルザに対する興味がなくなるのが凄いです。
なくなる、と言うよりも、もともと愛していなかったのです。
(そもそもシリルとエルザは、アンヌをよく知りもしない人達で、シリルの「父は、アンヌに騙されて苦しんでいる、助けてあげて。」みたいな言葉に唆されて協力しただけ)
計画遂行中のセシルは、
【シリルをほんとうに、肉体的にも愛するようになってからは、アンヌの影響をそれまでより恐れなくなったかもしれない。シリルとの愛のおかげで、私は多くの恐れから解放された。】
と考えていましたが、アンヌ亡き後は
【そして思った。この人(シリル)を愛したことはなかった、と。いい人だと惹きつけられたりはした。この人が与えてくれた快楽は、たしかに愛した。でも、この人を必要としていたのではなかった。】
と結論付けます。実際、別荘から去る時にあっさりお別れしたようです。

セシルの恋愛心が盛り上がったのも、アンヌに交際を反対された事や、アンヌに対抗しているという状況が強く影響したのでしょう。
だから、アンヌがいなくなって、我に返ったのです。
恋人といる事で幸福感や安心感を得られるという面ですが、これも、別にシリルじゃない、別の男性でも構わないんですね。

セシルは、アンヌという邪魔者を追い出すことに成功しています。それどころか亡き者にまでして、完全勝利です。
なのに、一つも幸せになっていません。
ラストは、以下の通りです。
【ただ明け方、パリの車が流れていく音だけを聞きながらベッドにいると、ときどき記憶がよみがえる。夏がまた、すべての思い出を連れてやってくる。アンヌ、アンヌ、アンヌ!闇のなかで、わたしは彼女の名前を、低い声で、長いあいだくり返す。するとなにかが胸にこみあげてきて、わたしはそれをその名のままに、目を閉じて、迎えいれる。悲しみよ、こんにちは。】
セシルは、これからもずっとアンヌの呪縛から逃れられず、囚われ続けることでしょう。セシルがこの世で一番執着する相手だと思います。
冒頭で述べられた「悲しみ」には、「甘さ」が含まれてます。
甘美な罪と自虐の意識と勝利の余韻とが微妙に混じっているのかもしれません。
大部分は、後悔と、憂鬱と、自己嫌悪と、恥辱と、喪失感とで出来ていると思いますけど。

【死によって―またも―アンヌは、わたしたちよりすばらしいところを示したのだ。】
とあるように、もうどうやってもアンヌを逆転できない感があります。
試合で勝って勝負に負けるとは、こういうことなんですね。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

  1. 2011/02/09(水) 10:26:14|
  2. 読書感想文(小説)

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