野良箱

同人漫画サークル

小島てるみ「ヘルマフロディテの体温」

ヘルマフロディテの体温ヘルマフロディテの体温
(2008/04/03)
小島 てるみ

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【あらすじ】
主人公シルビオの母は、ナポリに行き行方不明に。三年後、男になって帰ってきた。それは、シルビオが13歳の時だった。
ナポリの方言では、女装者やトランスセクシャルで女になった元男を「フェミニエロ」と呼ぶ。
20歳になったシルビオは、隠れて女装をしており、そんな自分が、ナポリの町が嫌いだった。
ある日女装して外出中に男に襲われかけたシルビオは、医学部の担当教授ゼータに救われた。
ゼータは、真性の半陰陽(ヘルマフロディテ)を公言しており、性転換手術の権威だった。
弱みを握られたシルビオは、教授の弟子として、さまざまなナゾに対する答えを探ることになる。
まずは、最初の<フェミニエロ>を見つけ出すのが課題となった。
ナゾを解きながら、シルビオは、自分がなぜ女装をするのかという問題と向き合っていく。

【途中まで、ネタバレなし感想】
山本タカトさんの耽美な表紙絵に惹かれて読みました。

中身も耽美で、かつエログロでした。
愛と死は結びつけたほうが、愛も高まるし、死へのおそれもなくなるのでしょう。

シルビオの物語の中に、シルビオが創作した短編小説が挿入される形になっています。
シルビオは、自分が調べたことをベースにお話を作ります。

教授から「私は新しい<物語>に飢えている。欲しいのは真実ではなく、真実だと感じさせてくれる途方もないおとぎばなしだ。」と言われているのです。
宗教や哲学や一部の心理学などは、「真実だと感じさせてくれるおとぎばなし」という感じがしますね。

神話や祭りの起源、カストーラの作り方自体が既にグロテスク風味なのですが、それをシルビオがお話にすると、さらに流血沙汰になります。

それとエロティックの部分は、女性目線の官能小説といった雰囲気です。
受けが両性なのでBLとは違います。

なお、タイトルのヘルマフロディテというのは、両性具有者を表しており、その語源は、ギリシャ神話に登場するヘルメスとアフロディテの息子です。彼は泉の精と一体になり、両方の性を獲得しました。

人はなぜ女装をするのか。その理由は様々なんですね。
男の気持ちのまま女装する人もいれば、そうでない人も。
それと、女装時と通常時の自分が半々で共存し、一人の自分を構成しているというパターンも。
その中の、女装しないと自分という物語の半分しか知らないようなものだ、というような考えは、シルビア、こと主人公のシルビオのものです。この時点でのシルビオは、女装理由を完全には突き止めていません。

【以下、ネタバレあり感想】

主人公のメガネ青年が女装中に男に強姦されそうになる、若き両性のゼータが初恋の男主導の輪姦に遭う、などの展開が、少女漫画やBLにありそうだと思いましたが、実際にあるのかどうかは知りません。あくまで偏ったイメージです。

性行為場面は、全部、受け、女役視点だったように思います。両性具有ということは、女性器もあるので、まんま、女性が男性にいたされる描写となります。乳揉まれるし。
ゼータは、両性なのですから、女性に恋して攻めになることも可能だったんですよね。ただ、それだと話のテイストがぼやけるし、「初恋が最悪の形で無残に散った感」が出ません。
ゼータの昔話はすべて真実のようですね。「人魚の子宮」語り手のダミアーノを失ったゼータが新たな物語の語り部として選んだのがシルビオだったわけです。

生殖を伴わない愛もあるという話で、かつ、人類が進化したらみんな両性具有になったりしてね、というものでもありました。
ゼータ博士は、「生命の進化の目的はただ一つ。愛することだ」と言います。
ロマンチックですね。

一人でいるにせよ、愛する者がいるにせよ、自分の心と体が一致していることが大事な様です。

湯治場の描写と説明は最初にありましたが、現在男になった母親はそこで水の番人をしていたのです。
人体の大半が水、胎児は水の中で変化し、地球そのものでもある。ナポリは人魚の死から生まれた。
といったように全編、水のイメージが続いてました。

特に、「ヘルマフロティは、彼を愛する泉の精と水の中で一体となり両性具有者となった」という旨の記述と、冒頭シルビオが湯治場で長い髪を濡らしながら戯れる母を「美しい水の精」と称した所は、あえて意識している箇所だと思われます。

その母との再会が湯治場なのも頷けます。

シルビオは、女装した自分を若い母親に重ね、彼女に復讐し汚す為に自慰行為をしている、けど本当は、(女だった)母に会いたかっただけなのかも、と言います。
己の女装が母親に似ていたら萎えそうなものですが、そうでもないんでしょうか。
シルビオは、女装した自分「シルビア」としてインタビューに答えた際、女装した自分を「半身」と呼んでいます。女の母を失って以来、彼は、それを自分の女装姿に求めたのです。
ラスト、その「半身」であるところの母と実際に会い、母に抱きしめられ体温を感じたことで、シルビオは「もう二度と女装することはない」と思ったようです。
性別は変わっても母は母であり、その本物の「半身」に触れる事ができたから、もう女装は必要ないということでしょうか。
母は、実在するのですから、鏡の中に置き換える必要はないのです。

世の女装者が全て、鏡の中に母を求めているわけではありませんし、著しく母を嫌悪している人もいるでしょうが、そういうケースもなくはないのでしょう。自分が母親と一体になって共存するというのは、心強い状況ですしね。

なお、シルビアの女装自慰には、単純に「イケナイことしてる僕」という背徳感に萌えている部分もあった模様です。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/12/02(木) 19:58:42|
  2. 読書感想文(小説)

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