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伊藤計劃「虐殺器官」

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/02/10)
伊藤 計劃

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【あらすじ】
殺し屋軍人のシェパード大尉は、ジョン・ポールという男の暗殺を命じられる。
ジョン・ポールは、その行く先々で虐殺を引き起こしているという。
シェパードは最近、母の延命装置の停止に同意した。母は、彼がもっとも最近殺した相手である。

【途中まで、ネタバレなし感想】
文体的には、欧米文学を日本語訳したもののような印象がありました。
また、漢字にルビを振って全然違う音に読ませるという手法が多かったです。これにより、耳慣れない音の連なりでも、その意味を知ることができました。

主人公のシェパードは、銃やナイフで人を殺しまくっているので、彼自身のことを指して「虐殺器官」というタイトルだと思っていたのでしたが、それは違いました。
半分くらいまで読んだ所で、「ああ!そーいうことか!!!!」と気づきました。
この思想は面白いです。

シェパード達のしている仕事は、諜報と歩兵と暗殺を兼ねた様なものです。

近未来を描ているので、現代では完成していないテクノロジーも多数出てくるバリバリのSFなのですが、近代史(湾岸戦争や9・11テロなど)を含んでいるので、リアルと密接しているように感じられます。
また、とても新しいのに、古典文学の匂いがします。
これは、罪と罰と良心という普遍的なものについて描かれているからだと思います。

それは誰の罪で、誰が罰を与え、誰が赦すのか。

脳神経科学、軍事、精神医療、哲学、宗教、社会学、言語学、生物学、国際情勢などについての専門用語が使われており、作者が普段からそれらに興味を持っているか、あるいは相当調べものをしてから書いていそうなお話でした。だからと言って、別にやっかいでも堅苦しいわけでもなく、読んでいて理解しやすいようになっていました。

戦場では、良心が命取りになります。少年・少女兵を殺すのにブレーキをかけてしまいますし、そのことが、自分の命をも脅かすわけです。
シェパードは、無神論者で特定の宗教に帰依していない、というつもりでした。
彼の死後のイメージは、一般的な天国やあの世とは異なります。
シェパード、寝ている時に見るような夢という形で「死者の国」を何度も見ます。その姿には数パターンあります。

冒頭からずっと、キャラクターが死と隣あわせ、どころか度々両足浸かってるようなお話なのに不思議な安心感があります。

この戦場では、カトリックのクリスチャンにとってすら、「地獄は己の頭の中」にあるという状況で、逃げ場がありません。

脳の様々な機能、モジュールが動いたり、一部止まったりしながら、自我意識である「わたし」を保っていて、時には酩酊したり、眠くなったりもする。意識は「ある」と「ない」だけではなく、「わたし」は濃くなったり薄くなったりする。
そんな考え方には、この本ではじめて触れました。
では、脳の一部が死に、一部が生きている「母さん」は、本当に「僕の母さん」なのか、シェパードは考えます。
「わたし」が最大限濃くなっている状態って、逆に危なそうですね。
罪の意識や、不安や、感覚の過敏で、物事に集中できなそうです。ある程度、どこかが麻痺していた方が動きやすいのではないでしょうか。

痛覚をマスキングした場合に、「痛いということは分かるけど、痛みを感じない」状態になるみたいです。
作中では、視覚についても同じようなことが書かれていました。つまり、物をあると知覚することと、物が見えるという感覚は、別の脳モジュールがその役割を担っているのだと。
そう言われても、パっと理解はできませんでした。
痛みの感覚マスキングを別のものに置き換えると、「文字を黙読していて、確かにその読みを『音』として認識しているのに、実際にはどんな『声』で読み上げているか自分でも分かっていないし何も聴こえてこない」、そんな感じでしょうかね。

この本は、何か新しい概念を教えてくれると言いますか、フィクションを作る際に元ネタにしたくなるような名作感がありました。

【以下、ネタバレあり感想】

「自分の意思で、自分の殺意で、自分が誰かの命を奪い、自分はその罪を負っている」という実感は、通常こわいものだと思うのですが、この作品の主人公は、逆に、それらの実感が偽者であることを恐れています。
なぜなら、それこそが、戦場における生の実感だったからです。

ジョン・ポールが虐殺引き起こす理由が意外過ぎました。
「愛する人々を守るためだ」
これ、フィクションにおける戦う理由ランキング最上位(?)の超ベタベタなヤツじゃないですか!
こういった特異な物語で、これが来るとはすごくびっくりでした。しかも主人公サイドじゃなくてラスボスが言うとは。
「罪と罰」を読んだ時も思ったのですが、ひねくれ続けた話で、突然直球ど真ん中やられるとインパクトがすさまじいですね。
なるほど、新妻エイジが言っていた「ベタと意外性は反対のようで、実はイコールです」とはこういうことですか。

ジョン・ポールは、アメリカ国民を守る為に、あちこちの国で内戦を引き起こし、アメリカにテロの被害が及ばないようにしていたようです。
IDタグによる情報管理は、実はテロへの抑止力にはなっていなくて、アメリカ以外で虐殺を起すことの方がアメリカを守れる、そんな理論考えたこともなかったです。

情報化が行渡りプライベートの喪失と引き換えに安全を手に入れること、テロへの戦い、この辺りは、まさに現代に通じます。

虐殺の文法は、食糧難に対応する過程で生まれた模様です。
つまり「虐殺器官」とは、虐殺を引き起こす「ことば」、もしくは「言語」を生み出す人間の機能、のことを言っているようなんですね。
それには、物語の中間くらいで勘付きはじめました。
「言語という器官」とい文章が出てきた辺りで。

この本は、読者に少しずつその思想が伝わるように書かれているんですけど、最後まで読んでから、もう一度冒頭に戻ると、はっきり『ぼくの母親を殺したのは僕のことばだ』と書かれています。
つまり、人間は、言葉という虐殺器官を持っている、ということが、開始数ページ目で明記してあるのです。いきなり物語の核心をつく一行で、言わば、小説のど頭でネタバレしているんですね。
ところが、読者であるところの私は、気づかず普通に読み流していました。
主人公の置かれた状況を説明するための文章として。

また、上記のセンテンスのすぐ後に、『合衆国政府のいかなる職員も暗殺に従事してはいけない、ということば。レーガンもブッシュもクリントンも、その「ことば」の強制力のもとに政策を進めてきた』ともあり、やはり、「ことば」というものの持つ力の大きさを強調してありました。

こういう、一度目は何気なく読めるのに、二周目になって「ハッ」とさせられる仕組みというのは、面白くて大好きです。
テーマを固めてから、全編を隈なく構成しているのでしょう。後から思いついて、最初を書き直したのかもしれませんが。

虐殺の文法は、脳の一部のモジュールを機能停止させるそうです。そこから虐殺が起る。
これが、主人公ら兵士が、戦闘や暗殺の前に、脳にマスキングを施し、カウンセリングを受けるのと限りなく似ているというのも皮肉で面白かったです。

はったりでも、実際には効力がなくてもいいので、虐殺の文法を用いた具体的な「ことば」を作中でも見たかったですね。ただ、その描写に失敗すると、作品のリアリティという点で、また説得力という意味で、グレード下がるかもしれませんから、ぼかすことで、読者の想像力が広がるという面ではよかったと思います。

ラスト、主人公シェパードは、世界中を不幸に陥れるような自国アメリカを、混沌の渦に落とそうとしています。
アメリカに虐殺の深層文法を広めるのです。
元々シェパードは、ジョン・ポールの愛人ルツィアに罪を罰してもらい、その上で赦してもらおうとしていましたが、彼女もジョン・ポールも死にました。
だから、自分で自分を罰するために、アメリカで虐殺を起こすのです。それは、まさに、彼自身の罪となり、それを背負うことになるわけですね。
が、これだとまるで、「罪を負ってしまったから罰せられる」のではなく、「罰せられるために罪を起こす」みたいです。
ここら辺の逆転ぶりも、純文学の香りがします。

一瞬、ひょっとしてこの本全体が、シェパードが虐殺の文法を使って書いた小説なのか!?と思いましたが、多分違います。

ルツィアとジョン・ポールがラブラブでイチャこいてた間に、ジョン・ポールの妻子は跡形もなくなりました。このことが、その二人にとっては償いようのない罪だったんでしょうね。

シェパードの物語の中に母はいましたが、母の物語の中にシェパードは(ほぼ)いませんでした。
このことも、シェパードをより頭の中の地獄に突き落としてしまったんでしょうね。
アメリカ国民を巻き込みつつ、自分だけは死なない自爆テロ、といった雰囲気で、少し自暴自棄になっている感があります。

シェパードが感じた、母の視線とは何だったのでしょうか。
それこそが、無神論者(シェパードは途中で、「自分は宗教を利用していたんだ、無神論者じゃなかったんだ」と気づくのですが)にとっての「神の目への畏れ」なのか、自分を律する「良心」や「臆病さ」だったのか。
シェパードとしては、あれを「母からの愛情」だと思いたかったようです。もしも、ソフトウェアのはきだす「母の伝記」にそう記されていたら、シェパードは戦場以外でも「生の実感」を得ることもできたでしょう。
しかし、感じていたはずの罪も愛も偽者だったとなれば、本当に空虚な気持ちになるのでしょうね。

作中の「戦争は啓蒙、自由は貨幣」という問答や、過去の文学、映画、TV番組を引用した知的会話、そして、未来のテクノロジーについての細かいギミック描写が、メインストーリーに付随する良いアクセントになっており、物語に深みを出していました。

民間軍事会社による代理戦争と、ID銃の導入、罪悪感の人工除去、核抑止論の崩壊などの設定は、ゲームMGSシリーズの影響を受けているようですが。オマージュに近い世界観だとしても、完全に自分のものにしているので、こういうのは全く問題ないかと思います。
二次創作は、時として、その一部だけでも本家を超えることがあるのです。

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テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/09/19(日) 22:54:46|
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