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ヘルマン・ヘッセ「幸福論」 高橋健二・訳

幸福論 (新潮文庫)幸福論 (新潮文庫)
(1977/01)
ヘルマン ヘッセ

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私が読んだ本の装丁は、上の画像とは異なります。

【概要】
ヘッセが晩年に書いた、随筆、エッセイ的短編、回想録などを集めたもの。

【感想】
没時間的、宇宙的な、特に子供時代の幸福な感覚について何度か書かれていました。

ずいぶん子供時代を細かく覚えているなという印象でした。少しは記憶が変質し、脚色されていそうですが、当時の感覚が増幅されて細部まで拡大されたような描写でした。

よく、ヘッセの作者紹介やプロフィールに書かれている神学校を脱走した件については、何度か書かれていました。
人生の一大転機だったのでしょう。

ヘッセ作品のタイトルがバンバン出てきます。
その内容にも触れていますが、私はヘッセ作品を2~3しか読んでいなかったので、全然ついて行けませんでした。
「ヘッセの本ならほとんど読破したぜ!」という人がこの「幸福論」を読めば、「ああ、あのエピソードね!」「ふうん、あの本を書いた時そんなことがあったのー、なるほど!」となるでしょう。

表題作の中の以下の部分が気になりました。
【幸福を体験するためには、何よりも、時間に支配されないこと、同時に恐怖や希望に支配されないことが必要だからである。】
希望が幸福の阻害条件だとは思ってもみませんでした。てっきり肯定的なベクトルという点で一致しているものと。
ヘッセ独自の考えだと思いますが、逆説的で面白いです。

ヘッセは、「湯治客」という手記を発表したのですが、それから数十年経っても、湯治場で客に「あれ、読みましたよー『湯治客』」と話しかけられまくり、それがとても煩わしかったのだそうです。
そんな中、面と向かってヘッセの「湯治客」批判する青年が現れます。
後で思い返せば、その時にこう諭せたのに、とか、こう言い訳できたのに、というのが沢山あるのに、批判されている間は全く思いつかず、ただただ彼の言う通りだと認めることしかできませんでした。
青年は、老子の「道」(タオ)的な奇跡のサムシングを信じていて(?)、すべてに心を開き、何も軽蔑せず、あらゆるものを心に貫通させるべし、それこそが道徳のような何かだ…、と思い日々過ごしていたのに、不完全で俗悪な「湯治客」を読んで腹立っちゃったよ、ってことは、すべてに心を開けてないってことじゃん!!みたいなことで怒っていたようです。
作者に言ってもどうにもならないと思いますが、彼なりに信念の危機だったのでしょう。
ヘッセは、その後数日間へこんだそうです。

ヘッセが孫からもらった物語と、自分が子供時代に書いた物語を比較します。
どちらもすごくよくできた童話でした。
それが全て、見聞きしたものの借り物で構成され、自分の経験を通していないとしても、何を借りてどう使うかと言う所にセンスが発揮されています。

神学校の生徒が、ヘルマン・ヘッセを尊敬しているという短編があります。
最初、自画自賛かと思いましたが、違いました。これは、本当にヘッセを模範としていた後輩少年をモデルに創作されていたのです。
その神学校生は、人生に躓き、情熱を持たずに学校を卒業して、商人に、その後、ヒトラーに抵抗して逮捕され、その時の迫害が元で精神病院に入りひっそり亡くなりました。
彼の友人がヘッセと文通していたため、ヘッセはそのことを知り、彼の人生を書いたのです。
モデルの神学校生だけではなく、全ての人生うまくいかない人への、慰め、同情、癒しのようなものを感じなくもなかったです。それと追悼。
ヘッセはラッキーと才能で、神学校飛び出してまでやりたかったことができたけど、現実は依然厳しく、大多数の人は、後輩神学校生と似たような道を歩むのだ、という戒めでもあるかもしれません。

ヘッセは、若い人から自作詩句の添えられた手紙を貰うことが多いのですが、どの作家から影響を受け、また、どの詩が模倣への刺激を直接与えた作品なのかが特定できるほどだと言います。
「なんではじめから詩になってるものを真似するのかね、おめでたい」みたいに毒づくようなことを思っていた老人ヘッセですが、いざ、自分が16の時に書いた詩を読んだら、その若者達と同じく模倣からはじめていたことが判明して恥じ入りました。
しかし、同時に新たな発見が。
肝心なのは、できあがる詩そのものではなく、大人の仮面をかぶるという遊戯だった、と気づくのです。

日本語訳されたヘッセ作品を読んだ青年から手紙が届きます。
それにより、ヘッセが実際体験し耐え忍んだこと、さらにそれを10年後小説として客体化しようと試みたことが、半世紀経っても消滅しなかったことが明らかになります。
この事は、その前書いてあった【成功しているにせよ、いないにせよ、この本(「車輪の下」)にはやはり、ほんとに体験され、悩まされた生活の一端が含まれていた。そういう生きた核心は時として、驚くほど長い時間を経て、まったく別な新しい事情のもとで、また働きを発揮し、そのエネルギーのなにがしかを放射することができるものだ。】という文章の根拠にもなっています。

【関連記事】
ヘッセ「デミアン」感想
ヘッセ「車輪の下」感想

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/04/01(木) 02:03:47|
  2. 読書感想文(小説)

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