野良箱

同人漫画サークル

ドストエフスキー「罪と罰」 米川正夫・訳

罪と罰 上 (角川文庫)罪と罰 上 (角川文庫)
(2008/11/22)
ドストエフスキー

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罪と罰 下 (角川文庫)罪と罰 下 (角川文庫)
(2008/11/22)
ドストエフスキー

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【あらすじ】
貧乏書生のラスコーリニコフは、金貸しの老婆を殺して金品を奪い隠した。
ラスコーリニコフには、例えばナポレオンなど選ばれた非凡人は、凡人のための法律や規範に縛られる必要はなく、人類を進化させるべく人を殺す権利を持っている、的な考えを持っていた。
ラスコーリニコフに嫌疑をかける者もいるが、そんな中、妹ドゥーニャの結婚話や馬車で轢かれた人の葬式やらの別イベントが発生する。

【途中までネタバレなし感想】
本当は上記のあらすじに進むまで結構ページ数があるので、すでにネタバレしてることになんですが、殺人のくだりは紹介文として外せなさそうなので書きました。

この本、読むのに2ヶ月強かかってしまいました。あまりにゆっくり読んだので細かい部分は覚えてませんが感想を書かせていただきます。

翻訳が独特です。
登場人物がよく「ちょっ、」「ちょっ!」と言います。
老若男女みな「ちょっ」です。これは「ちょっと、それは!」とか「ちょっと、待ってください!」みたいに使われるみたいです。
つまり「ちょっ、まーてよ!」(キムタク)や「ちょwwwwおまwwwww」(ネットスラング)みたいなものかと思われます。
また、「ほうっておく」「ほっといてくれ」は全て「うっちゃっておく」「うっちゃいといてくれ」と訳されています。
これは、最初に訳された時代には一般的な言い回しだったのか、訳者の個人的な癖なのかは分かりません。
現代でも「それはうっちゃいといて…」とか言うと思いますけど。これは置いといて、どけといて、ほっといて的な意味で。

「出稽古」って何ですか。ラスコールニコフは元大学生の書生ってことなんですが、この「出稽古」をしないため金がないみたいです。
家庭教師や塾講師のアルバイト、あるいは、お金のもらえる勉強会なのでしょうか。

「うっちゃる」とか「出稽古」とか力士みたいです。

ラスコーリニコフの、思い上がった考えの壮大さと、その実、ニート同然の男が金に困って物取りの為の殺人をしたというショボさのギャップが凄まじかったです。(物語をラストまで読むと、単純なありふれた犯行ではなかったようにも見えてきますが)
ラスコーリニコフの殺人は、計画的ではなく、ラッキーだけで即逮捕を免れた素人の犯行でした。
ずさんすぎてちょっと笑えました。

自分とは重ならないのに、妙なリアリティを感じる部分がいくつかありました。
例えばルージンが、「自分は身一つで稼いだ金で偉くなったのだが、あえて貧乏で周りから悪い噂を立てられている女(ドゥーニャ)と結婚し、彼女を自分のステージまで引き上げてやろう。彼女は拒めないし拒むはずもない、そして私は皆に賞賛されるだろう」というような考えに酔いしれている感じなどが、ああありそう、と思えました。

同作者の別の作品でもそうですが、細かいお金の問題が随所に出てきます。
最初の方で「ただの貧乏なら精神の高潔さを保てるけど、素寒貧になるとそれは不徳であり、そもそも自分を侮辱するようになる」というような言葉が出てきます。

ロシアの人名は本当に難しいですね。頭に入ってきません。一つのセリフの中で、同じ人を三通りの呼び方していたりします。
ドゥーニャ(愛称)=ドゥーネチカ(愛称)=アヴドーチャ(本名)といった風に。
ラスコーリニコフの本名は、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフで愛称はロージャです。
主人公からして覚えにくいです。

【以下、ネタバレあり感想】
婆さん殺して得られるくらいの金で、立身して世の為役立てることなどできない気がするんですが、犯行の動機としてはどこまでがそういった部分だったのでしょうか。貧乏にあえいでいる割には取った金に手をつけませんでしたし、かといって、殺人に際し、「自分が非凡人であるという証明をしたい!自分には人を殺す権利があるのだ!」という意気込みも感じられませんでした。
あとの方で、「自分をナポレオンといった種類に属する人間だとは思っていない」「人類の恩人になるために殺したわけでない」とも言っています。「自分の為に殺した」とも。どこが自分の為なんでしょうか。
意識に上っている部分の動機と、昔から感覚的に持っていた動機と、理論武装で手に入れた動機と、建前上の動機がバラバラなんでしょうか。
ここらへんは、沢山研究され論じられているんでしょうね。
本当の所は作者にしか分かりませんし、最初から考えていないのかもしれません。
ラスコーリニコフ自身にも良く分かっていないらしく、ソーニャに罪を打ち明けた部分で一転二転しているようです。

婆さんの妹を、あのばああから救ってやる的な気持ちを持っていたようなのですが、その妹をも思いっきり殺してて、この人何してんだ!?となりました。不謹慎ですがちょっと笑えました。こいつぜんぜんだめだ!だめすぎる!という意味で。どの信念も本気なようなつめが甘いような。

ラスコーリニコフは、婆さんを有害なしらみだと言い、最後まで殺したことを反省していませんでした。(途中で、「もっとも僕だって(婆さんが?)しらみでないことを知ってるけど」とも言っていて錯乱している模様)
人間としらみの境界線ってなんなのでしょうか。
少なくとも、金貸し婆さんの方が、ラスコーリニコフより世の中にとって有益な存在だと思うのですが。

盗んだ金品の点数や額すら確認しなかったのはなぜでしょうか。気が動転して犯行の露呈を恐れ、とにかく隠したかったからでしょうか。その後もそれらの品に手をつけなかったのは、更なる罪を重ねないため?臆病だから?良心の呵責に苛まれたから?殺した時点で何かが終わって盗品に興味を失ったから?
作中「(殺人現場で)物を取るかどうか、その腹が決まってなかった」「殺人を犯した時に必要だったのは金じゃない」というセリフがあったと思います。
ますます、なんの為の犯行なんだか曖昧になってきました。

文学研究者によると、ラスコーリニコフは婆さんを殺す際に斧でみねうちにした、つまり刃は自分にむいていた、だから、あれは自分を殺したのだ、という解釈があるみたいです。
実際、ラスコーリニコフも「婆あを殺したんじゃなくて、自分を永久に殺したんだ」という意のことを言っています。
婆さんを殺したのは悪魔かもしれませんが、妹のリザヴェータを殺したのはラスコーリニコフなんでしょうね。今度は斧の刃の方でいってますしね。

この作品は、キリスト教的な意味でいろいろ深読みできるそうなのですが、私は聖書の知識がないので、そういった読み方はできません。

ネットで見て回った中で面白かった解釈は、「ラスコーリニコフにとっての殺人は、罪ではなく罰そのものだった」説です。

「お立ちなさい!すぐ、すぐ行って、四つ辻にお立ちなさい。そして身をかがめて、まずあなたが汚した大地に接吻なさい。それから、世界中四方八方へ頭を下げて、はっきり聞こえるように大きな声で、『私は人を殺しました!』とおっしゃい!」というセリフは、伊坂幸太郎の「グラスホッパー」か何かで引用されているのを読んだことがあります。他にも「さよなら絶望先生」のコミックス折り返しでパロディ化されていたと思います。
この台詞は有名だから、メインキャラクターによるものだと思っていたので、私の印象としては「途中からいつの間にか出てきた脇役」だったソーニャが述べたことに驚きました。
読み終わってみれば、ソーニャはこの物語のメインヒロインですし、名前自体は冒頭から出ていたみたいですね。でも、初見の時は、え、この人脇役じゃん…!って思いました。

四辻土下座アンド大声自白を実行すれば、ラスコーリニコフの罪悪感や受けるべき罰の重さが軽減されたりするかもしれませんが、殺された婆さんが浮かばれません。そもそも、ラスコーリニコフは婆さん殺しについては悪いことをしたと思っていないわけです。
婆さん視点からみると全く酷い話です。

エピローグが読みやすかったです。
裁判で、ラスコーリニコフの犯行は、単なる物取りや強盗とは異質なものであると結論付けられました。
貧乏書生が世界を変えるだけの殺人をする権利など到底持ち得ないと思うのですが、仮に例の思想を持って人を殺し、かつ盗んだ金品に手をつけず、自己弁護を図らなかったら本当に刑が軽くなるのでしょうか。
「金に困ったので、金が欲しくて人を殺しました」の方が分かりやすいし、やっかいじゃないと思うのですが。
ラスコーリニコフのような不明瞭な動機だと、再発防止も難しそうです。

牢獄生活に入ってからのラスコーリニコフは、出所してからの人生のことを考えようにも、生きる意味が見出せず、無気力無感動状態です。
これが、人を殺したことの代償=罰なのでしょうか。

彼の抱くメインテーマである所の偉大な思想、それを試す凶行を実行してしまったのですから(動機ではなくても結果的に)、それが人生のピークと言えなくもないと思います。それ以降は無味乾燥。
しかも殺人実験の結果、どうやら自分は非凡人でも、「権利」を有するものでもないことに気づいてしまったわけですし。

ラスト、ラスコーリニコフがソーニャの手をとり、泣いて膝を抱きしめるシーンで、やけに感動して少し涙ぐんでしまいました。
「罪を犯し、生きがいのない抜け殻になった男が、愛する女の手によって救済され、再び未来に希望を抱けるようになる。」という展開は、もうベタ中のベタ!ありがち!と言っても良いくらいだと思います。それなのに、とても意外に感じたのです。
この物語で、このラスコーリニコフの性格で、これをやるとは想像できなかったのです。

突然ソーニャが隣に現れた時、とっさに「ああ、これはラスコーリニコフが見ている夢なんだな」と思いました。だから幸せな幻想が今にも消えそうで心配でした。それぐらいソーニャの実在と二人の身体的接触が信じられなかったです。
で、…夢じゃないんですよね?(間違ってたらお恥ずかしい。)

最近出た新訳だと、解説が付いてるみたいですね。機会があれば、そちらも読んでみようかと思います。

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2009/12/07(月) 11:42:26|
  2. 読書感想文(小説)

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