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内澤旬子『センセイの書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』

センセイの書斎---イラストルポ「本」のある仕事場 (河出文庫)センセイの書斎---イラストルポ「本」のある仕事場 (河出文庫)
(2011/01/06)
内澤 旬子

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イラストとエッセイによる、書斎レポートです。
学者、研究者、翻訳家、作家、建築家など、日頃、本を資料として活用している人達の書庫を、著者が取材します。

エッセイ部分は、著者自身の言葉による書斎紹介と、本棚の主によるインタビューから成り立っています。
イラスト部分には、部屋を真上から見た全体図とその書斎の特徴が出ている箇所のアップ、取材対象の似顔絵などが描かれています。また、本のタイトルや、ジャンル分けなど、細かい手書き文字がびっしりで、それを見ているだけでも楽しいです。

書庫のレポート絵には、本棚と関係ない室内のインテリアや置物が描かれていてそれを見るのも楽しいです。
西部劇好きな作家さんなら、ガンベルトが壁にかけてあって、PCの壁紙まで銃だったりしますし、他にも豚のぬいぐるみ収集家や、猫の置物とリアル猫の混在する部屋も。
書斎は、その作者の脳内や趣味趣向が反映されたものなのかもしれません。

部屋が散らかりすぎて、乱雑に本が積み重ねてある書斎は、イラストが緻密なだけに面白いです。これは、もう本棚でも書斎でもないだろう、という感じで笑えますが、これがこの先生なりの知識の扱い方なんでしょうね。

お堅いお仕事の先生でも、軽い感じの雑誌や漫画を所有していて、本棚の一角をそういうコーナーにしてたりするんですね。
趣味で漫画を読むのは分かるのですが、仕事用の研究書や全集、哲学書などと一緒の書斎に置いてあるのが意外です。

沢山本を収集しているような人は、もっと本という形式、紙質、手触り、重さ、装丁などを大切にしているイメージがあったのですが、今回取材された31人は、皆がそうだというわけではありませんでした。
古書コレクターなどは、保存状況に留意し、本の過ごして来た長い時間も含めて愛好しているようですが。

本の内容は、本来形のないものだから、本はかりそめの姿だと捉えている方がいました。
また、本を必要な所だけちぎる、残りは捨てる、というような激しい方も。
アンダーラインを引きまくる方や、付箋を貼りまくる方もいて、とても、本を美麗な状態で残しておこうというつもりがありません。
研究対象として、資料として本を読む方は、引用予定の箇所や、気になる記述にチェックを入れるのは当然でしょうから、一般的な本愛好者とは異なるのかもしれません。

セイセイの中には、ご年配でも、早くからインターネットを使い始めた方が数人いらっしゃいます。
翻訳家もコンピューターを利用していますし、作家達もCD-Rや電子辞書などのデータ形式のものを普通に使っています。
別に紙という形式に強くこだわっているわけでもないんですね。
ただ、完全に本がいらないかというとそんなこともないのです。
ある人は、電子メディアは自分の選んだ項目しかでてこないから、視野が狭くなる、とその欠点を指摘しています。(彼女も電子メディア愛好者)
一方、紙の媒体ならば、読むつもりがない箇所もパっと目に入ってきて、それが新しい発見に繋がることもあるのです。
だから、紙媒体も電子媒体も両方必要、と結論付けていました。
今は、既存の新聞や小説などが電子メディアに移行している真っ最中なので、その内、紙の本自体なくなってしまうのかもしれませんが、ランダムで意図していない情報に目に入るという紙媒体の良さは継承した方がいいのかもしれません。
現在のインターネットで、「興味がなくてもその情報に出会ってしまう」といえば、twitterのRTで回ってくるツイートや、2ちゃんねるまとめアンテナで羅列される記事タイトル、ニコニコ動画のランキングなどがあるでしょうね。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

  1. 2011/02/09(水) 22:11:48|
  2. 読書感想文(小説)

フランソワーズ・サガン「悲しみよ こんにちは」 河野万里子 訳

悲しみよこんにちは (新潮文庫)悲しみよこんにちは (新潮文庫)
(2008/12/20)
フランソワーズ サガン

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【あらすじ】
17歳のセシルは、プレイボーイの父と、その恋人エルザとともに、別荘でヴァカンスを楽しんでいた。
そこに亡き母の旧友アンヌが合流する。現在42歳。彼女は、理路整然とした思考回路を持ち、上品な人だから、騒々しい父やその仲間、そして自分をバカにしているのではないか、とセシルは思っている。
カンヌでギャンブルをした翌日、アンヌと父の結婚話が持ち上がった。一夜にして突然のことだったが、内心バランスのとれた穏やかな生活に憧れ、周囲を見下していたセシルは、自尊心と優越感から、二人の再婚に賛成する。
しかし、セシルがボーイフレンドのシリルとキスしている所を目撃したアンヌは、シリルへの教育を開始。以降、セシルは、アンヌへの反発心を強め…。

【途中までネタバレなし感想】
この物語は、恋愛をメインに描かれているのですが、計略、陰謀、悪意といった要素が強いので、あまり「ラブストーリー」という印象がありません。
人間の本質を描いた「文学!」という感じがします。

17歳の女の子セシルが、一連のエピソードを通して、精神的にも肉体的にも成長するのですが、必ずしも良い意味の「成熟」ではないようです。
タイトル通り、「本当の悲しみ」という感情を新たに獲得するのですが、その対価は、あまりにも大きいものでした。
これが、偶発的で外から勝手にやってきた出来事なら、セシルもただ黙って受け止めたでしょうが、セシルが自発的に行動した結果こうなってしまったのです。だからこそ、悲しみを感じる事もできたわけですが。
早い段階で、セシルは、オスカー・ワイルドの言葉<罪は、現代社会に残った唯一の鮮明な色彩である>を実行するよりもはるかにしっかりと、揺ぎ無い確信を持って自分のものにした」と考えています。
セシルの罪は、法律的には裁けないものでしょう。因果が実証できないのです。

主人公セシルは、【わたしはこれからどんな形にでもなっていく素材にすぎないから。でも、型にはめられるのはお断りだという素材なのだ。】と認識している為、【教養のあって育ちの良い幸福な娘】に仕立て上げられるのが嫌なのです。
【わたしにはよくわかる。どんなに簡単にわたしたちが、不安定なわたしたちが、そうした枠組みや責任のなさの魅力に負けてしまうか。あの人はやり手なのだ。】
「あの人」というのは、父の再婚候補者であるアンヌのことです。
恐らく、アンヌは、別に主人公達を罠に嵌めて自由を奪ってやろうとか思ってないです。ただ単に、あたりまえの幸福な家庭を築きたいだけであって、他意はないのでは。
でも、セシルはそれを悪く取ってしまうんですね。
少女から大人になる事の、もしくは、今まで幸福と信じていた世界が変わる事への、漠然とした不安感がそうさせるのでしょうか。
セシルは、【あの人は有害で危険】【私たちの道から遠ざけなければいけない】と拒否感をつのらせています。
アンヌが来た事による精神的変化の原因ついて、セシルは、父への倒錯した愛でもアンヌへの不健全な情熱でもなく、ボーイフレンドのシリルといられないことだと自己分析しています。

異性交遊を禁じられ、「もっと勉強真面目にして試験に備えなさい」と言われたので父の再婚相手に反発する、という部分だけ見ると、えらく普通の17歳少女です。

セシルは、アンヌを全面的に憎み敵視しているわけではありません。むしろ、「アンヌは正しい」と内心認めている、本当は自分もそうありたいと憧れている、というのが混じっている所が、やけにリアルで、作者が当時18歳だったというのが信じられない程の心理描写です。
少女を描けるのは同年代だからまだ分かるとして、40代男女のそれぞれの心の動きまで計算して書けてる(と思う)のは、どういうことなんでしょうか。
セシルは、自分の計画が、父とアンヌにどういった作用を与えるか熟知しているのです。想定外の部分もありましたが。それは、父がどういうつもりで女性を愛しているか、各対象ごとに分析できているからなせる技なのです。
女性が魅力的で美しいから愛する、というだけではなく、その女性を手に入れることの付加価値(周りからの羨望、こんなプライドの高い女を俺はモノにしたぜという自尊心と優越感)が重要なんですね。父が自覚しているかは分かりませんが。

セシルの「計画」というよりもう「陰謀」ですが、
【でも、アンヌは私を思索する人間とみなしていなかった。それを誤りだと気づかせるのが、わたしには突然、なにより重要な、差し迫ったことに思えてきた。】
【わたしがどれほど<ほんとうにびっくり!>な人間かアンヌに教えたくて!】
という文章から、セシルは計画実行後の生活を単純に楽しみにし、願っているだけなのではなく、「アンヌに自分の力を認めさせたい、わたしだってちゃんと考える頭を持った意思の強い女の子なんだと知って欲しい」という気持ちの強いことがうかがえます。
このあたりも、人間の後ろ暗い情熱に触れてしまってる感があって面白いです。

冒頭、「悲しみ」について
【ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというものは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。悲しみ―それを、わたしは身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。でも今は、なにかが絹のようになめらかに、まとわりつくように、わたしを覆う。そうしてわたしを、人々から引き離す。】
と書いています。
わたし=セシルが、この物語の後に書いた文章という設定です。本編は、過去を振り返って語る形式なので。

「悲しみ」の定義が、一般的なものとやや異なるようです。

「狭く閉じた美しい世界に第三者がやってきて、その暮らしが崩壊する」というあらすじの作品は割と多いと思うのですが、どれも、外から来た者を異分子、破滅を招く悪魔、みたいに描く割に、実際には主人公サイドの方が、狂っていたりします。最初に「美しい」「幸福」と信じていた状況自体が病んでいるという。
セシルの企み自体は、そう高度で狡猾なものではないと思うんですが、他者を巻き込んでまで実行してしまう瞬発力が危険です。
小悪魔少女どころかピカレスクな勢いです。

【以下、ネタバレあり感想】
【“フランソワーズ・サガン「悲しみよ こんにちは」 河野万里子 訳”の続きを読む】

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  1. 2011/02/09(水) 10:26:14|
  2. 読書感想文(小説)